吉野鉱山

曖昧さ回避 吉乃鉱山」とは異なります。
吉野鉱山
所在地

吉野鉱山(よしのこうざん)とは、かつて山形県南陽市(旧東置賜郡吉野村)に存在した鉱山

概要

江戸時代以前からの歴史を誇り、亜鉛重晶石石膏などを産出した。戦前は、小規模な鉱区が群棲しており各々操業していた。このうち、吉野石膏山(吉野石膏採掘所)において、石膏を採掘・精製していた業者が明治年間(1901年ごろ)に後の吉野石膏を創業。その後アメリカで開発された石膏ボードの生産と普及に努めたことによって全国的に知名度が高まった。吉野石膏山は、石膏の供給先である日本タイガーボード製造(吉野石膏の前身の一つ)が海外からの輸入石膏及び(化学肥料の副産物である)化学石膏に原料を切り替えたこと、1936年に同山竪坑において出水事故に見舞われたことなどから、1939年に閉山している[1]

第二次世界大戦後は、日本鉱業が鉱区を統合し、操業を続けていた。しかし、1970年3月3日には鉱滓処理用の鉄管が凍結で破裂し、カドミウムを含む汚水が地域の水道水源に流入した[2]ほか、河川水の酸性化などの鉱毒問題が発生問題となり、1974年に閉山に追い込まれた。

現在は、金属鉱業等鉱害対策特別措置法に基づいて、指定鉱害防止事業機関[3]が鉱害防止業務として坑廃水処理場を設置し、流出する酸性水の中和作業を実施している。また、鉱山跡地付近には、同鉱山と関わりの深い吉野石膏による「吉野石膏の森」、(日本鉱業の後身である)JX金属による「日鉱 里山・龍樹の森」という企業所有の山林が存在する。

脚注

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  1. ^ 吉野石膏の歴史(1)戦前 - 移ろうままに「宮内よもやま歴史絵巻」- 2019年10月17日閲覧。
  2. ^ 水源地へカドミウム 鉱業所鉄管破れ流出『朝日新聞』1970年(昭和45年)3月12日 12版 15面
  3. ^ 財団法人資源環境センター

関連項目