登記欣也
基本情報 | |
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国籍 | 日本 |
出身地 | 愛媛県宇和島市 |
生年月日 | (1952-02-12) 1952年2月12日(72歳) |
身長 体重 | 172 cm 74 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 投手 |
プロ入り | 1978年 ドラフト1位 |
初出場 | 1979年6月12日 |
最終出場 | 1979年6月12日 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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登記 欣也(とうき きんや、1952年2月12日 - )は、愛媛県宇和島市出身の元プロ野球選手(投手)。
来歴・人物
愛媛・帝京五高では、エースとして1968年秋季四国大会決勝に進出するが、徳島商業高の松村憲章らに抑えられ完封負け、準優勝にとどまる。1969年春の選抜に出場。1回戦で釧路一高に完封負けを喫した[1]。
高校卒業後は、社会人野球の神戸製鋼に入社。1973年のプロ野球ドラフト会議で太平洋クラブライオンズから7位指名を受けたが入団を拒否した。
1976年の日本選手権では1回戦で新日本製鐵室蘭を完封、2回戦で東京ガスの松沼博久と投げ合うが、延長14回サヨナラ負け。
1977年の都市対抗野球に出場、増岡義教(三菱重工神戸から補強)との二本柱で勝ち進む。準決勝で日本鉱業佐賀関に完封勝利、決勝は増岡が熊谷組を完封しチームは初優勝を飾る[2]。同年の第3回インターコンチネンタルカップ日本代表となった。同年の日本選手権では3勝をあげチームの準決勝進出に貢献。
1978年の都市対抗野球では、1回戦第1試合で大昭和製紙北海道に0-1で惜敗[2]。同年の第25回アマチュア野球世界選手権日本代表にも選出された。同年の日本選手権では、準々決勝でまたも東京ガスの松沼博久と投げ合うが0-1で惜敗。
1978年のプロ野球ドラフト会議で近鉄バファローズから1位指名を受け、27歳でプロ入りした[3]。
1981年には二軍で最優秀防御率のタイトルを獲得しているが、一軍登板はルーキーイヤーの1979年の1試合のみにとどまり、1982年オフに現役引退。
詳細情報
年度別投手成績
年 度 | 球 団 | 登 板 | 先 発 | 完 投 | 完 封 | 無 四 球 | 勝 利 | 敗 戦 | セ 丨 ブ | ホ 丨 ル ド | 勝 率 | 打 者 | 投 球 回 | 被 安 打 | 被 本 塁 打 | 与 四 球 | 敬 遠 | 与 死 球 | 奪 三 振 | 暴 投 | ボ 丨 ク | 失 点 | 自 責 点 | 防 御 率 | W H I P |
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1979 | 近鉄 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | -- | ---- | 7 | 1.0 | 4 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 3 | 3 | 27.00 | 4.00 |
通算:1年 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | -- | ---- | 7 | 1.0 | 4 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 3 | 3 | 27.00 | 4.00 |
記録
背番号
- 13 (1979年 - 1980年)
- 32 (1981年 - 1982年)
脚注
関連項目
外部リンク
- 個人年度別成績 登記欣也 - NPB.jp 日本野球機構
- 選手の各国通算成績 Baseball-Reference (Japan)