菅谷勘三郎

菅谷 勘三郎(すがや かんざぶろう、1886年 - 1953年)は、昭和時代の日本の政治家群馬県議会議員(1期)、群馬県会議員(6期)、第27代群馬県会議長、吾妻郡岩島村長などを務めた。

来歴

1886年、名門の家庭に生を受ける。群馬県吾妻郡岩島村(現東吾妻町)出身。

1920年、岩島村長に就任。

1923年、群馬県会議員に初当選。以後6期務める。

1941年、第27代群馬県会議長に就任(吾妻地区選出の議員として初)[1]

1947年、GHQの命により公職追放の憂き目をみる。

1951年、群馬県議会議員選挙に出馬して当選し、県政への復帰を果たす。

1953年、死去。

人物

  • 群馬県農業会副会長などを歴任。群馬県における農政のドンとして県政に隠然たる力を持っていた。

脚注

出典

  1. ^ 歴代正副議長一覧 - 群馬県公式ウェブサイト
議会
先代
石井清
群馬県の旗 群馬県会議長
第27代:1941年 - 1947年
次代
金子金八
官選
県会議長
  • 宮崎有敬
  • 湯浅治郎
  • 天野宗忠
  • 宮口二郎
  • 野村藤太
  • 高津仲次郎
  • 野村藤太
  • 高津仲次郎
  • 高橋諄三郎
  • 下城弥一郎
  • 関根作三郎
  • 江原桂三郎
  • 星野源左衛門
  • 高津仲次郎
  • 芥川辰次郎
  • 星野源左衛門
  • 飯塚志賀
  • 本島自柳
  • 山田平太郎
  • 森川抱次
  • 青山徳太郎
  • 林庸太郎
  • 都木重五郎
  • 金沢富三郎
  • 星野元治
  • 石井清
  • 菅谷勘三郎
公選
県議会議長
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