スズカマンボ

スズカマンボ
第50回有馬記念パドック(2005年12月25日)
欧字表記 Suzuka Mambo[1]
品種 サラブレッド[1]
性別 [1]
毛色 鹿毛[1]
生誕 2001年4月28日[1]
死没 2015年2月20日(14歳没)
抹消日 2006年4月19日[2]
サンデーサイレンス[1]
スプリングマンボ[1]
母の父 Kingmambo[1]
生国 日本の旗 日本北海道静内町[1]
生産者 グランド牧場[1]
馬主 永井啓弐[1]
調教師 橋田満栗東[1]
厩務員 児玉武大(持ち乗り調教助手)[3]
競走成績
生涯成績 19戦4勝[1]
獲得賞金 2億9206万8000円[1]
勝ち鞍
GI 天皇賞(春) 2005年
GIII 朝日チャレンジC 2004年
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スズカマンボ(欧字名:Suzuka Mambo2001年4月28日 - 2015年2月20日)は、日本競走馬種牡馬[1]

2005年天皇賞(春)GI)を13番人気で制した。その他の勝ち鞍に、2004年朝日チャレンジカップGIII)。

近親にはダンスパートナーダンスインザダークダンスインザムードなどがいる。

戦績

2歳

スズカマンボは2003年8月、札幌でデビューした。新馬戦は4着だったが、2戦目の未勝利戦で勝ち上がった。

3戦目の札幌2歳ステークスで重賞に初挑戦したが9着に敗れた。それでも、スズカマンボは続く萩ステークス(オープン特別)をレコードタイムで勝利し、暮れの2歳牡馬チャンピオン決定戦・朝日杯フューチュリティステークスに出走した。しかし、レースでは直線で失速し13着と大敗した。

3歳

2004年、スズカマンボの春初戦は年明けの京成杯だったが4着に敗れた。それでも、皐月賞トライアルの若葉ステークスで2着に入り、スズカマンボは皐月賞の優先出走権を得た。しかし、本番の皐月賞では終始後方のまま17着と大敗を喫した。

このままだと収得賞金が足りず日本ダービー出走が危うくなったスズカマンボは次走に京都新聞杯を選択。このレースで2着に入ったスズカマンボは収得賞金を増やし、ダービー出走に漕ぎ着けた。ダービー本番では単勝15番人気と低評価だったが、5着と健闘した。

休養後、スズカマンボの秋初戦は初の古馬相手となった朝日チャレンジカップ。1番人気に推されたこのレースで見事に勝利、重賞初制覇を遂げるとともに菊花賞へ向けて好スタートを切った。しかし、本番の菊花賞では後方待機から猛然と追い込んだが6着に敗れた。

菊花賞後、スズカマンボは鳴尾記念に出走。1番人気に推されたが2着に終わり、この年を終えている。

4 - 5歳

2005年、4歳になり古馬になったスズカマンボの初戦は天皇賞(春)の最終ステップレース・大阪-ハンブルクカップ(オープン特別)だったが、ビッグゴールドに逃げ切りを許し、3着に敗れた。

この敗戦で本番の天皇賞(春)ではスズカマンボは13番人気と低評価だった。だが、レースでは道中中団待機から直線で鋭く伸び、先頭で懸命に粘っていたビッグゴールドを豪快に差し切って優勝、GIを初制覇した。

GI馬になったスズカマンボだったが、秋になると一転して不調に陥り、天皇賞(秋)13着、ジャパンカップ9着、有馬記念10着と掲示板すら載れずに終わった。

2006年、5歳になったスズカマンボは天皇賞(春)連覇を目指して、初戦の大阪杯に出走。このレースで3着に入り、復活の狼煙をあげたかに見えたが、レース後に左後繋靭帯不全断裂を発症。競走能力喪失と診断されたため、引退した。

競走成績

以下の内容は、netkeiba.com[4]およびJBISサーチ[5]に基づく。

競走日 競馬場 競走名 距離(馬場)


オッズ
(人気)
着順 タイム
(上り3F)
着差 騎手 斤量
[kg]
1着馬(2着馬) 馬体重
[kg]
2003.08.17 札幌 2歳新馬 芝1800m(良) 8 6 6 004.90(4人) 04着 R1:54.6(35.3) -0.6 0武豊 54 アラビアンナイト 486
0000.08.31 札幌 2歳未勝利 芝1800m(良) 14 7 11 002.90(2人) 01着 R1:52.2(35.5) -0.4 0蛯名正義 54 (スマートストリーム) 482
0000.10.02 札幌 札幌2歳S GIII 芝1800m(稍) 14 3 3 010.80(4人) 09着 R1:55.1(35.5) -1.0 0蛯名正義 55 モエレエスポワール 482
0000.11.01 京都 萩S OP 芝1800m(良) 10 2 2 016.40(3人) 01着 R1:46.7(35.3) -0.1 0上村洋行 55 (マイネルベナード) 490
0000.12.14 中山 朝日杯FS GI 芝1600m(良) 16 8 16 017.70(7人) 13着 R1:35.7(37.3) -2.0 0上村洋行 55 コスモサンビーム 488
2004.01.18 中山 京成杯 GIII 芝2000m(良) 10 7 7 007.10(4人) 04着 R2:00.1(36.8) -0.9 0蛯名正義 56 フォーカルポイント 486
0000.03.20 阪神 若葉S OP 芝2000m(良) 14 8 13 008.70(3人) 02着 R2:00.2(34.4) -0.0 0福永祐一 56 ハーツクライ 478
0000.04.18 中山 皐月賞 GI 芝2000m(良) 18 8 17 080.8(15人) 17着 R2:00.1(34.0) -1.5 0蛯名正義 57 ダイワメジャー 474
0000.05.08 京都 京都新聞杯 GII 芝2200m(良) 11 5 5 008.70(3人) 02着 R2:12.0(33.7) -0.1 0武豊 56 ハーツクライ 476
0000.05.30 東京 東京優駿 GI 芝2400m(良) 18 7 13 082.5(15人) 05着 R2:24.0(35.1) -0.7 0武幸四郎 57 キングカメハメハ 478
0000.09.11 阪神 朝日チャレンジC GIII 芝2000m(良) 11 8 11 002.60(1人) 01着 R2:01.6(33.7) -0.0 0武豊 53 ヴィータローザ 476
0000.10.24 京都 菊花賞 GI 芝3000m(良) 18 2 4 009.70(5人) 06着 R3:06.1(35.4) -0.4 0安藤勝己 57 デルタブルース 486
0000.12.12 阪神 鳴尾記念 GIII 芝2000m(良) 15 5 9 001.90(1人) 02着 R2:00.9(34.5) -0.2 0安藤勝己 56 サクラセンチュリー 486
2005.04.09 阪神 大阪-ハンブルクC OP 芝2500m(良) 12 6 8 004.80(3人) 03着 R2:32.7(34.4) -0.2 0上村洋行 57 ビッグゴールド 482
0000.05.01 京都 天皇賞(春) GI 芝3200m(良) 18 5 10 035.1(13人) 01着 R3:16.5(34.1) -0.2 0安藤勝己 58 (ビッグゴールド) 484
0000.10.30 東京 天皇賞(秋) GI 芝2000m(良) 18 1 2 029.70(8人) 13着 R2:00.8(32.9) -0.7 0安藤勝己 58 ヘヴンリーロマンス 480
0000.11.27 東京 ジャパンC GI 芝2400m(良) 18 8 17 026.3(10人) 09着 R2:22.9(34.9) -0.8 0安藤勝己 57 アルカセット 488
0000.12.25 中山 有馬記念 GI 芝2500m(良) 16 3 5 052.60(7人) 10着 R2:32.9(34.9) -1.0 0安藤勝己 57 ハーツクライ 498
2006.04.02 阪神 産経大阪杯 GII 芝2000m(重) 12 8 12 012.70(5人) 03着 R2:04.8(37.8) -0.3 0安藤勝己 59 カンパニー 490

種牡馬時代

引退後は、新ひだか町アロースタッド種牡馬として繋養され、2008年に初年度産駒が誕生した。2010年に産駒がデビューし、地方競馬ではホクトが6月1日門別競馬第7競走ルーキーチャレンジで、産駒初勝利を挙げた。中央競馬ではマルタカシクレノンが6月19日福島競馬第5競走2歳新馬で、産駒の初勝利をあげている。2013年にはメイショウマンボフィリーズレビューを勝ち産駒のJRA重賞初制覇を飾ると、同馬が優駿牝馬(オークス)も制し、産駒のGI級競走初勝利となった。

種付け数は初年度に96頭を集めたが、2011年には34頭に減少した。産駒が活躍するようになると種付け申し込みが急増したが、体調悪化のため種付け数を制限せざるを得ず、交配数は2013年に56頭、2014年に80頭と最後まで伸びなかった。2015年2月20日、心不全により死亡[6]。14歳。

種牡馬としては交配数が制限されていたうえ早世したため、年間交配数が100頭を超える人気種牡馬に比べると産駒数は少なかったが、距離や芝ダートをあまり問わず、幅広い活躍を見せた。2020年現在、産駒がJRAの芝、ダート、障害の3カテゴリーのG1を制したのは、本馬の他にはティンバーカントリーのみである(2018年にJBC3競走が京都競馬場で開催された際の記録を含める場合はディープインパクトも該当する)。

グレード制重賞優勝馬

強調表示はGI/JpnI/JGI競走。*は地方競馬の主催者別重賞

地方重賞優勝馬

エピソード

  • 馬主・永井啓弐と調教師・橋田満のタッグで挑んだ天皇賞といえば、サイレンススズカが出走した1998年天皇賞・秋が知られている。しかし、このレースでサイレンススズカは骨折のため競走中止予後不良となってしまった。この事もあり、スズカマンボが天皇賞・春を制した際に橋田は「あのことがあるから、同じ馬主さんの馬で天皇賞を勝てたのが凄くうれしい」と語っている。また、永井も、「サイレンスの時はどうしても勝たなければ…とプレッシャーがあった。(中略)ダービーが終わった後、一番獲りたかったのが天皇賞。だから本当にうれしい」と喜びをあらわにした[20]

血統表

スズカマンボ血統 (血統表の出典)[§ 1]
父系 サンデーサイレンス系
[§ 2]

*サンデーサイレンス
Sunday Silence
1986 青鹿毛
父の父
Halo
1969 黒鹿毛
Hail to Reason Turn-to
Nothirdchance
Cosmah Cosmic Bomb
Almahmoud
父の母
Wishing Well
1975 鹿毛
Understanding Promised Land
Pretty Ways
Mountain Flower Montparnasse
Edelweiss

スプリングマンボ
1995 鹿毛
Kingmambo
1990 鹿毛
Mr. Prospector Raise a Native
Gold Digger
Miesque Nureyev
Psadoble
母の母
*キーフライヤー
Key Flyer
1986 鹿毛
Nijinsky II Northern Dancer
Flaming Page
Key Partner Key to the Mint
Native Partner
母系(F-No.) (FN:7) [§ 3]
5代内の近親交配 Raise a Native 4・5(母内)、Northern Dancer 5・4(母内) [§ 4]
出典
  1. ^ [21]
  2. ^ [22]
  3. ^ [21]
  4. ^ [21]

外部リンク

脚注

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o “スズカマンボ”. JBISサーチ. 公益社団法人日本軽種馬協会. 2022年11月22日閲覧。
  2. ^ “スズカマンボが引退、種牡馬入り”. netkeiba.com. 2022年4月16日閲覧。
  3. ^ “唐突に星になった愛馬に、深く携わった2人のホースマンが思い出を語る”. Yahoo!. 2023年4月2日閲覧。
  4. ^ “スズカマンボの競走成績”. netkeiba. Net Dreamers Co., Ltd.. 2021年5月5日閲覧。
  5. ^ “スズカマンボ 競走成績”. JBISサーチ. 公益社団法人日本軽種馬協会. 2021年5月5日閲覧。
  6. ^ 天皇賞馬スズカマンボが心不全で急死 14歳サンケイスポーツ 2015年2月20日閲覧
  7. ^ “サンビスタ”. JBISサーチ. 2017年11月21日閲覧。
  8. ^ “ユーロビート”. JBISサーチ. 2017年11月21日閲覧。
  9. ^ “メイショウマンボ”. JBISサーチ. 2017年11月21日閲覧。
  10. ^ “メイショウダッサイ”. JBISサーチ. 2020年10月19日閲覧。
  11. ^ “マンボビーン”. JBISサーチ. 2017年11月21日閲覧。
  12. ^ “イッシンドウタイ”. JBISサーチ. 2017年11月21日閲覧。
  13. ^ “スズカウインダー”. JBISサーチ. 2017年11月21日閲覧。
  14. ^ “ピッチシフター”. JBISサーチ. 2017年11月21日閲覧。
  15. ^ “サンバビーン”. JBISサーチ. 2017年11月21日閲覧。
  16. ^ “スタンドアウト”. JBISサーチ. 2017年11月21日閲覧。
  17. ^ “グッドギアー”. JBISサーチ. 2017年11月21日閲覧。
  18. ^ “モズキンボシ”. JBISサーチ. 2017年11月21日閲覧。
  19. ^ “ヴァリヤンツリ”. JBISサーチ. 2018年5月7日閲覧。
  20. ^ 伏兵マンボ アンカツ手綱で盾制覇(アーカイブ) - スポニチアネックス、2022年11月22日閲覧。
  21. ^ a b c “血統情報:5代血統表|スズカマンボ”. JBISサーチ. 2021年8月24日閲覧。
  22. ^ “スズカマンボの種牡馬情報”. 競馬ラボ. 2021年8月24日閲覧。
   

国際競走指定前:
002回(1938年) ハセパーク
004回(1939年) スゲヌマ
006回(1940年) トキノチカラ
008回(1941年) マルタケ
010回(1942年) ミナミモア
012回(1943年) グランドライト
014回(1944年) ヒロサクラ
015回(1947年) オーライト
017回(1948年) シーマー
019回(1949年) ミハルオー
021回(1950年) オーエンス
023回(1951年) タカクラヤマ
025回(1952年) ミツハタ
027回(1953年) レダ
029回(1954年) ハクリヨウ
031回(1955年) タカオー
033回(1956年) メイヂヒカリ
035回(1957年) キタノオー
037回(1958年) オンワードゼア
039回(1959年) トサオー
041回(1960年) クリペロ
043回(1961年) ヤマニンモアー
045回(1962年) オンスロート
047回(1963年) コレヒサ
049回(1964年) ヒカルポーラ
051回(1965年) アサホコ
053回(1966年) ハクズイコウ
055回(1967年) スピードシンボリ
057回(1968年) ヒカルタカイ

059回(1969年) タケシバオー
061回(1970年) リキエイカン
063回(1971年) メジロムサシ
065回(1972年) ベルワイド
067回(1973年) タイテエム
069回(1974年) タケホープ
071回(1975年) イチフジイサミ
073回(1976年) エリモジョージ
075回(1977年) テンポイント
077回(1978年) グリーングラス
079回(1979年) カシュウチカラ
081回(1980年) ニチドウタロー
083回(1981年) カツラノハイセイコ
085回(1982年) モンテプリンス
087回(1983年) アンバーシャダイ
089回(1984年) モンテファスト
091回(1985年) シンボリルドルフ
093回(1986年) クシロキング
095回(1987年) ミホシンザン
097回(1988年) タマモクロス
099回(1989年) イナリワン
第101回(1990年) スーパークリーク
第103回(1991年) メジロマックイーン
第105回(1992年) メジロマックイーン
第107回(1993年) ライスシャワー
第109回(1994年) ビワハヤヒデ
第111回(1995年) ライスシャワー
第113回(1996年) サクラローレル
第115回(1997年) マヤノトップガン
第117回(1998年) メジロブライト

第119回(1999年) スペシャルウィーク
第121回(2000年) テイエムオペラオー
第123回(2001年) テイエムオペラオー
第125回(2002年) マンハッタンカフェ
第127回(2003年) ヒシミラクル
第129回(2004年) イングランディーレ

国際競走指定後:
第131回(2005年) 日本の旗 スズカマンボ
第133回(2006年) 日本の旗 ディープインパクト
第135回(2007年) 日本の旗 メイショウサムソン
第137回(2008年) 日本の旗 アドマイヤジュピタ
第139回(2009年) 日本の旗 マイネルキッツ
第141回(2010年) 日本の旗 ジャガーメイル
第143回(2011年) 日本の旗 ヒルノダムール
第145回(2012年) 日本の旗 ビートブラック
第147回(2013年) 日本の旗 フェノーメノ
第149回(2014年) 日本の旗 フェノーメノ
第151回(2015年) 日本の旗 ゴールドシップ
第153回(2016年) 日本の旗 キタサンブラック
第155回(2017年) 日本の旗 キタサンブラック
第157回(2018年) 日本の旗 レインボーライン
第159回(2019年) 日本の旗 フィエールマン
第161回(2020年) 日本の旗 フィエールマン
第163回(2021年) 日本の旗 ワールドプレミア
第165回(2022年) 日本の旗 タイトルホルダー
第167回(2023年) 日本の旗 ジャスティンパレス
第168回(2024年) 日本の旗 テーオーロイヤル

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