メイヂヒカリ

メイヂヒカリ
1955年11月23日、菊花賞優勝時。
人物は左から馬主・新田新作、厩務員・野口啓三、調教師・藤本冨良、鞍上・蛯名武五郎。
品種 サラブレッド
性別
毛色 鹿毛
生誕 1952年3月24日
死没 1980年(28歳没・旧29歳)
クモハタ
シラハタ
母の父 プリメロ
生国 日本の旗 日本北海道三石町)
生産者 大塚牧場
馬主 新田新作
→新田松江
調教師 藤本冨良東京
厩務員 野口啓三
競走成績
タイトル 啓衆社賞年度代表馬(1956年)
啓衆社賞最優秀3歳牡馬(1954年)
啓衆社賞最優秀4歳牡馬(1955年)
啓衆社賞最優秀5歳以上牡馬(1956年)
JRA顕彰馬(1990年選出)
生涯成績 21戦16勝
獲得賞金 1042万7040円
勝ち鞍 菊花賞(1955年)
天皇賞(春)(1956年)
中山グランプリ(1956年)
テンプレートを表示

メイヂヒカリ日本競走馬種牡馬。1955年菊花賞、1956年天皇賞(春)、中山グランプリ(現・有馬記念)などに優勝した。1954年度啓衆社賞最良3歳牡馬、1955年度同最良4歳牡馬、1956年度同年度代表馬および最良5歳以上牡馬主戦騎手蛯名武五郎。1990年、顕彰馬に選出された。

半弟鳴尾記念勝利馬グレイトスタン(父ヒンドスタン)がいる。

経歴

出生・デビュー前

1952年、北海道三石町の大塚牧場に生まれる。父は1939年の東京優駿(日本ダービー)優勝馬で、当年に内国産種牡馬として初のリーディングサイアーを獲得するクモハタ、母シラハタは競走馬時代、福島記念を含む8勝を挙げた実力馬であった。幼名はイワハタ。2歳時に新田建設社長・新田新作が購買、メイヂヒカリと改名されて東京競馬場藤本冨良厩舎に入った。馬名は新田が経営していた劇場明治座」に由来する。

良血馬ながら、入厩当初その馬体はずんぐりとして垢抜けないものであったが、調教を積まれる内に均整の取れた好馬体に変わっていった[1]。これに連れてデビュー前から注目を集め始め、鈴木勝太郎厩舎のイチモンジ、田中和一郎厩舎のケゴンと共に、注目馬の三指に挙げられた[1]

戦績

3歳時(1954年)

1954年10月23日、中山競馬場の新馬戦でデビュー。関東所属騎手の第一人者であった蛯名武五郎を鞍上に、5馬身差で初戦勝利を挙げた。続く優勝戦とオープン戦ではイチモンジ、ケゴンとの対戦が注目を集めたが、いずれも両馬を退けて3連勝を遂げ、迎えた関東の3歳王者戦・朝日杯3歳ステークスでは1番人気に支持された。レースではスタートで立ち後れて中団からのレース運びとなったが、最終コーナーで先行集団に並ぶと、最後はケゴンをアタマ差捉えて優勝した。当年より、啓衆社が中央競馬を対象とした年度表彰「啓衆社賞」を発足させ、メイヂヒカリは初代の最良3歳牡馬に選出された。

4歳時(1955年)

翌1月のオープン戦で4歳の初勝利を挙げると、3月に地元東京競馬場で初出走。イチモンジとの競り合いをハナ差制し、6連勝となった。これで名実共にクラシック初戦・皐月賞への最有力候補と目され、その前哨戦のスプリングステークスでは、単勝支持率50%に近い1番人気に推された。しかし第3コーナーから失速、6頭立ての5着と大敗を喫する。敗戦の原因は判明せず、そのまま皐月賞への参戦が予定された。しかし皐月賞3日前の最終調教後、右後脚飛節の故障が判明、そのまま休養に入った[2][注 1]。この時、手が空く形となった蛯名には他馬の陣営から騎乗依頼が殺到したが、蛯名は「メイヂヒカリに乗れないなら他の馬に乗る気はない」と全て断った[5]。休養中に行われた皐月賞はケゴン、東京優駿は3歳時に2度破ったオートキツが優勝している。

怪我は競走馬としての再起が疑われた重篤なものであった[6]。休養中は静岡県伊豆大仁温泉に赴き、藤本の知人の旅館主人の協力でメイヂヒカリが入れる温泉と馬房を設え、約3カ月間そこで療養した[7]。後年、福島県いわき市競走馬総合研究所に「馬の温泉」が開設されたが、藤本はこの時の温泉療養が先駆ではなかったかと語っている[7]

9月にオープン戦で復帰、1番人気は前年の桜花賞優勝馬カンセイに譲った。しかし直線半ばで抜け出すと、2着に2馬身差を付け、東京1600メートルのコースレコードで勝利を収めた。次走の毎日王冠では不良馬場逃げ馬を捉えきれず2着となったが、続くオールカマーでは皐月賞馬ケゴン、二冠牝馬ヤマイチらを寄せ付けず勝利。京都入りしてのオープン戦は3馬身2分1の差で快勝し、クラシック最後の一冠・菊花賞を迎えた。

菊花賞直線決勝線前

1番人気はダービー以降6連勝を続けるオートキツ、メイヂヒカリは2番人気となり、その対決は同年アメリカでライバル関係が注目されていた「ナシュア対スワップス」とも比較された[8]。レースでは道中で先頭に立ったメイヂヒカリが最終コーナーから後続馬を突き放し、オートキツに10馬身差を付けて圧勝。優勝タイム3分9秒1はタイレコードであった。競走後に行われた表彰式では、新田と共にオートキツ馬主の川口鷲太郎も馬場に下り、互いに握手を交わした[8]

続くオープン戦も快勝したが、年末に出走した中山特別では腰を痛めて最下位に敗退[8]。しかし当年の年度表彰では、オートキツの年度代表馬受賞に対し、最良4歳牡馬賞を受賞した。同齢の2頭が年度代表馬と最優秀4歳牡馬を別々に受賞したのは、当年も含め史上2例のみである[注 2]

5歳時(1956年)

5歳シーズンは、春の天皇賞を目標として早めに京都入りし、3月末のオープン戦を3馬身差で快勝。次走に迎えた天皇賞は、残り600メートルで先頭に立つと、そのままウゲツに5馬身差を付けて優勝した。最後は蛯名が後ろを振り返るなど余裕を残しての勝利ながら、優勝タイム3分22秒3は菊花賞に続くタイレコードであった。

続くハンデキャップ戦では64kgの斤量を背負い、3着に敗退する。この1ヶ月後、馬主の新田新作が死去。葬儀にはメイヂヒカリも参列した[9]。この後は新作の妻・松江に所有が引き継がれ、秋まで休養に入る。10月に復帰すると、緒戦のオープン戦を4馬身差で勝利。続くオールカマーをクビ差の2着として、次走のオープン戦で勝利を収める。

そして年末、当年創設されたファン投票によるオールスター競走・中山グランプリに臨んだ。ファン投票では、当年の菊花賞優勝馬キタノオーに12票差での2位選出[10]。出走12頭中8頭が八大競走優勝馬というメンバーの中、競走当日は1番人気に支持された。2万7801人の観衆が見守る中、レースは先行集団に入り、直線入り口で抜け出し、キタノオーに3馬身2分1の差を付けて優勝した[10]。優勝タイム2分43秒1は日本レコードとなった[10]

競走後、藤本は「今のメイヂヒカリなら外国に出ても満足の行く勝負ができる」と海外遠征を示唆したが、新田松江の強い希望により、これを最後に競走生活から退いた[11]。翌年1月には満場一致で当年の年度代表馬に選出、東京競馬記者クラブ賞も受賞した(メイヂヒカリ以後、最優秀2歳3歳4歳以上牡馬を全て受賞した競走馬は2019〜21年のコントレイルまで65年間現れなかった[12])。さらに同クラブの企画により、中山競馬場において日本競馬史上初の引退式が執り行われた。

種牡馬時代-顕彰馬選出

引退後は故郷の大塚牧場で種牡馬として繋養された。内国産種牡馬冷遇時代にあって1963年に種牡馬ランキング10位、1964年には11位と一定の成績を挙げたが、全体的には低迷した。しかし産駒のオーシヤチが種牡馬としてアイアンハート(1974年カブトヤマ記念の勝ち馬)を出し、父クモハタから続く4代にわたる内国産の父系を繋いだ。また天皇賞(秋)、有馬記念に優勝した牝馬トウメイ母の父としても名を残している。

1976年限りで種牡馬を引退。その後1980年にこの世を去った事は判明しているものの、今ほど引退後の名馬の待遇が良くなかった事もあってか、死亡場所と死因は未だに分かっていない。

死後の1984年、中央競馬で顕彰馬制度が発足。第1回選考では選出されなかったが、1990年に過去の名馬を再検証しての第2回選考が行われ、改めて顕彰馬に選出された。これにより、第1回で選出されていた父クモハタと併せ、史上2組目の親子選出となった。大川慶次郎は選考においてメイヂヒカリ推奨のスピーチを行ったが、大川曰くそのスピーチは話が進むごとに熱を帯び、その後に当時の出席者の一人から「まるでアメリカ弁護士陪審員にむかってふるう熱弁のようにすごい説得力があった」と言われて赤くなったと振り返っている[13]

競走成績

以下の内容は、『優駿』2011年7月号、123頁に基づく。

競走日 競馬場 競走名 距離(馬場) 頭数 人気 着順 タイム 着差 騎手 斤量

[kg]

1着馬/(2着馬)
1954. 10. 23 中山 3歳新馬 芝1000m(良) 4 1 1着 1:01 1/5 5身 蛯名武五郎 51.5 (ローズアニタ)
11. 7 中山 3歳優勝 芝1100m(良) 7 2 1着 1:05 4/5 アタマ 蛯名武五郎 51 (イチモンジ)
12. 4 中山 3歳オープン 芝1100m(稍) 14 3 1着 1:07 2/5 3身 蛯名武五郎 53 (ケゴン)
12. 12 中山 朝日盃3歳S 芝1100m(稍) 17 1 1着 1:07 3/5 アタマ 蛯名武五郎 52 (ケゴン)
1955. 1. 8 中山 4歳オープン 芝1100m(良) 5 1 1着 1:06 2/5 1 1/2身 蛯名武五郎 55 (タカクイン)
3. 12 東京 4歳オープン 芝1800m(良) 5 1 1着 1:52 3/5 ハナ 蛯名武五郎 57 (イチモンジ)
3. 27 東京 スプリングS 芝1600m(稍) 6 1 5着 蛯名武五郎 54 ナンシーシヤイン
9. 17 東京 オープン 芝1600m(良) 11 2 1着 R 1:37 2/5 2身 蛯名武五郎 58 (ヨシフサ)
10. 2 中山 毎日王冠 芝2600m(不) 7 1 2着 1 1/4身 蛯名武五郎 54 サスケハナ
10. 16 中山 オールカマー 芝2000m(良) 11 1 1着 2:04 0/5 3/4身 蛯名武五郎 58 (カネエイカン)
11. 13 京都 オープン 芝1800m(良) 5 1 1着 1:52 0/5 3 1/2身 蛯名武五郎 58 (ケンシユン)
11. 23 京都 菊花賞 芝3000m(稍) 7 2 1着 3:09 1/5 10身 蛯名武五郎 57 オートキツ
12. 3 阪神 オープン 芝1800m(良) 9 1 1着 1:57 0/5 1 1/2身 藤本勝彦 64 (ムツリユウ)
12. 25 中山 中山特別 芝2400m(良) 6 1 6着 蛯名武五郎 61 ヒデホマレ
1956. 3. 31 京都 オープン 芝2000m(稍) 5 1 1着 2:09 1/5 3身 蛯名武五郎 60 (オールマイテイ)
4. 15 京都 天皇賞(春) 芝3200m(良) 13 1 1着 3:22 3/5 5身 蛯名武五郎 58 (ウゲツ)
5. 20 東京 特殊ハンデキヤツプ 芝1800m(良) 5 1 3着 蛯名武五郎 64 ブレツシング
10. 6 東京 オープン 芝1600m(重) 7 1 1着 1:40 2/5 4身 蛯名武五郎 54 (トヨタニ)
11. 11 中山 オールカマー 芝2000m(重) 11 1 2着 クビ 蛯名武五郎 62 トヨタニ
12. 8 東京 オープン 芝1800m(良) 5 1 1着 1:53 1/5 1 3/4身 蛯名武五郎 57 (フアイナルスコア)
12. 23 中山 中山グランプリ 芝2600m(良) 12 1 1着 R 2:43 1/5 3 1/2身 蛯名武五郎 55 キタノオー

特徴・評価

競走馬としての特徴を端的に表したものには、「の切れ味」と評されたシンザンと比較して蛯名武五郎が述べた「日本刀」という表現がよく知られる。メイヂヒカリの優れた瞬発力を日本刀の斬れ味になぞらえたものである。一方で「その反面に脆いところもあった」とも述べているが、「逃げても追い込んでも自由自在であったし、私にとっては生涯最良の馬と言って良いだろう[9]」と、総体的に高い評価を送っている。また、調教で騎乗した浅見国一は「ゴムマリのようなって言うのかな、素晴らしい乗り心地でした。後にも先にも、あんなに乗り心地の良い柔らかい馬には出会っていません」と語り、トキノミノルと並べて日本競馬史上の最強馬候補に挙げている[5]

また、蛯名が「一口で言えば垢抜けた馬」と評した通り、体高(キ甲=首と背の境から足元まで)157cm[14]、馬体重440kg程度[15]と小柄ながら、バランスの良い好馬体でも知られた。競馬記者の石崎欣一、清水昇は、それぞれ「日本の風土が生んだ最もビューティフルな名馬[14]」、「バランスの取れた馬格は言うまでもなく、戦後の代表的な存在と言って良いのではないだろうか[16]」と評価している。

主な産駒

※括弧内は当該馬の優勝重賞競走。#印は地方競馬主催の競走。

血統表

メイヂヒカリ血統ゲインズバラ系 / 5代内アウトブリード (血統表の出典)

クモハタ
1936 栗毛
父の父
*トウルヌソル
Tournesol
1922 鹿毛
Gainsborough Bayardo
Rosedrop
Soliste Prince William
Sees
父の母
*星旗
Fairy Maiden
1924 栗毛
Gnome Whisk Broom
Faiery Sprite
Tuscan Maiden Maiden Erlegh
Tuscan Red

シラハタ
1945 黒鹿毛
*プリメロ
Primero
1931 鹿毛
Blandford Swynford
Blanche
Athasi Farasi
Athgreany
母の母
第四バツカナムビユーチー
1940 黒鹿毛
*ダイオライト
Diolite
Diophon
Needle Rock
バツカナムビユーチー *シアンモア
第三ビユーチフルドリーマー F-No.12

父についての詳細は同馬の項を参照。母系小岩井農場が輸入したビューチフルドリーマーから、第参ビューチフルドリーマーへの分枝系。近親にはシンザン、ハクリヨウなど日本競馬史に残る数々の名馬がいる。

脚注

[脚注の使い方]

注釈

  1. ^ 新田は皐月賞出走を強行しようとしたが、当時新田の秘書を務めていた大川慶次郎が「半端な状態で出せば、馬券を買うファンに迷惑が掛かる」と説得し、休養に至った[3]。大川によると翌週に追切を行って獣医に診断を仰いだ結果は「どちらかと言えば危険。医者の立場から言えば、出走はやめておいた方がいい」だったという[4]
  2. ^ 1966年度にアサカオー(菊花賞優勝)が年度代表馬、マーチス(皐月賞優勝)が最優秀4歳牡馬を別々に受賞している。現行の規定では、年度代表馬は各部門賞受賞馬から選出することが定められているため、こうした例が見られることはない。

出典

  1. ^ a b 『日本の名馬』p.198
  2. ^ 『日本の名馬・名勝負物語』p.140
  3. ^ 大川(1997)p.44-45
  4. ^ 大川(1998)p.101
  5. ^ a b 『優駿』2000年5月号 p.36
  6. ^ 『名馬づくり60年』p.174
  7. ^ a b 『名馬づくり60年』p.175
  8. ^ a b c 『日本の名馬』p.206
  9. ^ a b 『日本の名馬』p.208
  10. ^ a b c 優駿』2002年1月号 p.96
  11. ^ 『日本の名馬』p.210
  12. ^ http://race.sanspo.com/keiba/news/20220112/ope22011204590002-c.html
  13. ^ 大川(1998)p.106
  14. ^ a b 『日本の名馬』p.197
  15. ^ 『名馬づくり60年』p.207
  16. ^ 『日本の名馬・名勝負物語』p.137

参考文献

  • 白井透編『日本の名馬』(サラブレッド血統センター、1971年)ASIN B000J93LLC
  • 中央競馬ピーアール・センター編『日本の名馬・名勝負物語』(中央競馬ピーアール・センター、1980年)ISBN 4924426024
  • 中央競馬ピーアール・センター編『名馬づくり60年 - 藤本冨良・わが競馬人生』(中央競馬ピーアール・センター、1991年)
  • 大川慶次郎『大川慶次郎殿堂馬を語る』(ゼスト、1997年)ISBN 4916090527
  • 大川慶次郎『大川慶次郎回想録 まっすぐ競馬道 杉綾の人生』(日本短波放送、1998年)ISBN 4931367291
    • 文庫版あり(角川文庫、2000年、ISBN 4043542011)
  • 優駿
    • 2000年5月号(日本中央競馬会、2000年)
      • 21世紀に語り継ぎたい名馬100選 - 浅見国一氏に聞く
    • 2002年1月号(日本中央競馬会、2002年)
      • 結城恵助『有馬記念史 全45回の名勝負を振り返る(第1回)』
    • 2011年7月号(日本中央競馬会、2011年)
      • 江面弘也『偉大なる顕彰馬の蹄跡 vol.7 メイヂヒカリ』

外部リンク

 
表彰・GI勝ち鞍
啓衆社賞
優駿賞
JRA賞
1980年代
1990年代
2000年代
2010年代
2020年代
(旧)最優秀3歳牡馬
1950年代
1960年代
1970年代
1980年代
1990年代
2000年代
最優秀2歳牡馬
2000年代
2010年代
2020年代
  • 1 2001年より馬齢表記法が数え年から満年齢に移行
    *2 1954-1971年は「啓衆社賞」、1972-1986年は「優駿賞」として実施
    *3 1986年は2頭同時受賞
(旧)最優秀4歳牡馬
1950年代
1960年代
1970年代
1980年代
1990年代
2000年代
最優秀3歳牡馬
2000年代
2010年代
2020年代
  • 1 2001年より馬齢表記法が数え年から満年齢に移行
    *2 1954-1971年は「啓衆社賞」、1972-1986年は「優駿賞」として実施
(旧)最優秀5歳以上牡馬
1950年代
1960年代
1970年代
1980年代
1990年代
2000年代
最優秀4歳以上牡馬
2000年代
2010年代
2020年代
  • 1 2001年より馬齢表記法が数え年から満年齢に移行
    *2 1954-1971年は「啓衆社賞」、1972-1986年は「優駿賞」として実施
朝日杯3歳ステークス
1940年代

第1回 アヅマホマレ

1950年代

第2回 トキノミノル / 第3回 タカハタ / 第4回 サンゲツ / 第5回 タカオー / 第6回 メイヂヒカリ / 第7回 キタノオー / 第8回 キタノヒカリ / 第9回 カツラシユウホウ / 第10回 ウネビヒカリ / 第11回 マツカゼオー

1960年代

第12回 ハクシヨウ / 第13回 カネツセーキ / 第14回 グレートヨルカ / 第15回 ウメノチカラ / 第16回 リユウゲキ / 第17回 メジロボサツ / 第18回 モンタサン / 第19回 タケシバオー / 第20回 ミノル / 第21回 アローエクスプレス

1970年代

第22回 オンワードガイ / 第23回 トクザクラ / 第24回 レッドイーグル / 第25回 ミホランザン / 第26回 マツフジエース / 第27回 ボールドシンボリ / 第28回 マルゼンスキー / 第29回 ギャラントダンサー / 第30回 ビンゴガルー / 第31回 リンドタイヨー

1980年代

第32回 テンモン / 第33回 ホクトフラッグ / 第34回 ニシノスキー / 第35回 ハーディービジョン / 第36回 スクラムダイナ / 第37回 ダイシンフブキ / 第38回 メリーナイス / 第39回 サクラチヨノオー / 第40回 サクラホクトオー / 第41回 アイネスフウジン

1990年代
2000年代
朝日杯フューチュリティステークス
2000年代
2010年代

第62回 グランプリボス / 第63回 アルフレード / 第64回 ロゴタイプ / 第65回 アジアエクスプレス / 第66回 ダノンプラチナ / 第67回 リオンディーズ / 第68回 サトノアレス / 第69回 ダノンプレミアム / 第70回 アドマイヤマーズ / 第71回 サリオス

2020年代

第72回 グレナディアガーズ / 第73回 ドウデュース / 第74回 ドルチェモア / 第75回 ジャンタルマンタル

菊花賞勝ち馬
1930年代

第1回 テツモン / 第2回 マルタケ

1940年代

第3回 テツザクラ / 第4回 セントライト / 第5回 ハヤタケ / 第6回 クリフジ / 第7回 アヅマライ / 第8回 ブラウニー / 第9回 ニユーフオード / 第10回 トサミドリ

1950年代

第11回 ハイレコード / 第12回 トラツクオー / 第13回 セントオー / 第14回 ハクリヨウ / 第15回 ダイナナホウシユウ / 第16回 メイヂヒカリ / 第17回 キタノオー / 第18回 ラプソデー / 第19回 コマヒカリ / 第20回 ハククラマ

1960年代

第21回 キタノオーザ / 第22回 アズマテンラン / 第23回 ヒロキミ / 第24回 グレートヨルカ / 第25回 シンザン / 第26回 ダイコーター / 第27回 ナスノコトブキ / 第28回 ニツトエイト / 第29回 アサカオー / 第30回 アカネテンリュウ

1970年代
1980年代
1990年代
2000年代
2010年代

第71回 ビッグウィーク / 第72回 オルフェーヴル / 第73回 ゴールドシップ / 第74回 エピファネイア / 第75回 トーホウジャッカル / 第76回 キタサンブラック / 第77回 サトノダイヤモンド / 第78回 キセキ / 第79回 フィエールマン / 第80回 ワールドプレミア

2020年代

第81回 コントレイル / 第82回 タイトルホルダー  / 第83回 アスクビクターモア / 第84回 ドゥレッツァ

   

国際競走指定前:
002回(1938年) ハセパーク
004回(1939年) スゲヌマ
006回(1940年) トキノチカラ
008回(1941年) マルタケ
010回(1942年) ミナミモア
012回(1943年) グランドライト
014回(1944年) ヒロサクラ
015回(1947年) オーライト
017回(1948年) シーマー
019回(1949年) ミハルオー
021回(1950年) オーエンス
023回(1951年) タカクラヤマ
025回(1952年) ミツハタ
027回(1953年) レダ
029回(1954年) ハクリヨウ
031回(1955年) タカオー
033回(1956年) メイヂヒカリ
035回(1957年) キタノオー
037回(1958年) オンワードゼア
039回(1959年) トサオー
041回(1960年) クリペロ
043回(1961年) ヤマニンモアー
045回(1962年) オンスロート
047回(1963年) コレヒサ
049回(1964年) ヒカルポーラ
051回(1965年) アサホコ
053回(1966年) ハクズイコウ
055回(1967年) スピードシンボリ
057回(1968年) ヒカルタカイ

059回(1969年) タケシバオー
061回(1970年) リキエイカン
063回(1971年) メジロムサシ
065回(1972年) ベルワイド
067回(1973年) タイテエム
069回(1974年) タケホープ
071回(1975年) イチフジイサミ
073回(1976年) エリモジョージ
075回(1977年) テンポイント
077回(1978年) グリーングラス
079回(1979年) カシュウチカラ
081回(1980年) ニチドウタロー
083回(1981年) カツラノハイセイコ
085回(1982年) モンテプリンス
087回(1983年) アンバーシャダイ
089回(1984年) モンテファスト
091回(1985年) シンボリルドルフ
093回(1986年) クシロキング
095回(1987年) ミホシンザン
097回(1988年) タマモクロス
099回(1989年) イナリワン
第101回(1990年) スーパークリーク
第103回(1991年) メジロマックイーン
第105回(1992年) メジロマックイーン
第107回(1993年) ライスシャワー
第109回(1994年) ビワハヤヒデ
第111回(1995年) ライスシャワー
第113回(1996年) サクラローレル
第115回(1997年) マヤノトップガン
第117回(1998年) メジロブライト

第119回(1999年) スペシャルウィーク
第121回(2000年) テイエムオペラオー
第123回(2001年) テイエムオペラオー
第125回(2002年) マンハッタンカフェ
第127回(2003年) ヒシミラクル
第129回(2004年) イングランディーレ

国際競走指定後:
第131回(2005年) 日本の旗 スズカマンボ
第133回(2006年) 日本の旗 ディープインパクト
第135回(2007年) 日本の旗 メイショウサムソン
第137回(2008年) 日本の旗 アドマイヤジュピタ
第139回(2009年) 日本の旗 マイネルキッツ
第141回(2010年) 日本の旗 ジャガーメイル
第143回(2011年) 日本の旗 ヒルノダムール
第145回(2012年) 日本の旗 ビートブラック
第147回(2013年) 日本の旗 フェノーメノ
第149回(2014年) 日本の旗 フェノーメノ
第151回(2015年) 日本の旗 ゴールドシップ
第153回(2016年) 日本の旗 キタサンブラック
第155回(2017年) 日本の旗 キタサンブラック
第157回(2018年) 日本の旗 レインボーライン
第159回(2019年) 日本の旗 フィエールマン
第161回(2020年) 日本の旗 フィエールマン
第163回(2021年) 日本の旗 ワールドプレミア
第165回(2022年) 日本の旗 タイトルホルダー
第167回(2023年) 日本の旗 ジャスティンパレス
第168回(2024年) 日本の旗 テーオーロイヤル

日本の旗 有馬記念勝ち馬
   

国際競走指定前:
01回(1956年) メイヂヒカリ
02回(1957年) ハクチカラ
03回(1958年) オンワードゼア
04回(1959年) ガーネツト
05回(1960年) スターロツチ
06回(1961年) ホマレボシ
07回(1962年) オンスロート
08回(1963年) リユウフオーレル
09回(1964年) ヤマトキヨウダイ
第10回(1965年) シンザン
第11回(1966年) コレヒデ
第12回(1967年) カブトシロー
第13回(1968年) リュウズキ
第14回(1969年) スピードシンボリ
第15回(1970年) スピードシンボリ
第16回(1971年) トウメイ
第17回(1972年) イシノヒカル
第18回(1973年) ストロングエイト
第19回(1974年) タニノチカラ
第20回(1975年) イシノアラシ
第21回(1976年) トウショウボーイ
第22回(1977年) テンポイント
第23回(1978年) カネミノブ

第24回(1979年) グリーングラス
第25回(1980年) ホウヨウボーイ
第26回(1981年) アンバーシャダイ
第27回(1982年) ヒカリデユール
第28回(1983年) リードホーユー
第29回(1984年) シンボリルドルフ
第30回(1985年) シンボリルドルフ
第31回(1986年) ダイナガリバー
第32回(1987年) メジロデュレン
第33回(1988年) オグリキャップ
第34回(1989年) イナリワン
第35回(1990年) オグリキャップ
第36回(1991年) ダイユウサク
第37回(1992年) メジロパーマー
第38回(1993年) トウカイテイオー
第39回(1994年) ナリタブライアン
第40回(1995年) マヤノトップガン
第41回(1996年) サクラローレル
第42回(1997年) シルクジャスティス
第43回(1998年) グラスワンダー
第44回(1999年) グラスワンダー
第45回(2000年) テイエムオペラオー
第46回(2001年) マンハッタンカフェ
第47回(2002年) シンボリクリスエス

第48回(2003年) シンボリクリスエス
第49回(2004年) ゼンノロブロイ
第50回(2005年) ハーツクライ
第51回(2006年) ディープインパクト

国際競走(G1)指定後:
第52回(2007年) 日本の旗 マツリダゴッホ
第53回(2008年) 日本の旗 ダイワスカーレット
第54回(2009年) 日本の旗 ドリームジャーニー
第55回(2010年) 日本の旗 ヴィクトワールピサ
第56回(2011年) 日本の旗 オルフェーヴル
第57回(2012年) 日本の旗 ゴールドシップ
第58回(2013年) 日本の旗 オルフェーヴル
第59回(2014年) 日本の旗 ジェンティルドンナ
第60回(2015年) 日本の旗 ゴールドアクター
第61回(2016年) 日本の旗 サトノダイヤモンド
第62回(2017年) 日本の旗 キタサンブラック
第63回(2018年) 日本の旗 ブラストワンピース
第64回(2019年) 日本の旗 リスグラシュー
第65回(2020年) 日本の旗 クロノジェネシス
第66回(2021年) 日本の旗 エフフォーリア
第67回(2022年) 日本の旗 イクイノックス
第68回(2023年) 日本の旗 ドウデュース