ダイワメジャー

ダイワメジャー
現役期間 2003年 - 2007年
欧字表記 Daiwa Major
品種 サラブレッド
性別 [1]
毛色 栗毛[1]
生誕 2001年4月8日[1]
抹消日 2007年12月26日[2]
サンデーサイレンス[1]
スカーレットブーケ[1]
母の父 ノーザンテースト[1]
生国 日本の旗 日本北海道千歳市[1]
生産者 社台ファーム[1]
馬主 大和商事(株)
大城敬三
調教師 上原博之美浦[1]
厩務員 大場保[3]
競走成績
タイトル 最優秀短距離馬(2006年・2007年)
生涯成績 28戦9勝
中央競馬)27戦9勝
ドバイ)1戦0勝[1]
獲得賞金 10億6181万0900円[1]
WTRR M117 / 2005年[4]
M121 - I121 / 2006年[5]
M121 / 2007年[3]
勝ち鞍
GI 皐月賞 2004年
GI 天皇賞(秋) 2006年
GI マイルCS 2006年・2007年
GI 安田記念 2007年
GII マイラーズC 2006年
GII 毎日王冠 2006年
GIII ダービー卿CT 2005年
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ダイワメジャー(欧字名:Daiwa Major2001年4月8日 - )は、日本競走馬種牡馬

2003年に中央競馬(JRA)でデビュー、翌2004年に皐月賞を制する。その後、呼吸疾患の喘鳴症が重症化したことで一時不振に陥るが、手術を経てこれを克服し、2005年4月に復帰。2006年には天皇賞(秋)マイルチャンピオンシップに優勝し、最優秀短距離馬に選出される。2007年にも安田記念とマイルチャンピオンシップを制し、再び同賞を受けた。通算28戦9勝。中央GI競走5勝は当時史上4位タイの記録。競走馬引退後の2008年より種牡馬となり、GI3勝のアドマイヤマーズをはじめ11頭のGI級競走優勝馬を輩出している。

有馬記念などGI・JpnI競走で4勝を挙げたダイワスカーレットは半妹(異父妹)。なお、ダイワスカーレットの祖父がダイワメジャーの父と同じサンデーサイレンスであるため、3/4妹(血量が75%同じ)とも言われる。

競走馬時代

生い立ち

2001年、北海道千歳市の社台ファームに生まれる。父は当時不動のリーディングサイアーであったサンデーサイレンス、母は中央競馬で4つの重賞を制したスカーレットブーケ。当時すでに兄姉には新潟3歳ステークス優勝のダイワルージュはじめ、それぞれ5勝を挙げたスリリングサンデー、グロリアスサンデーといった活躍馬がいた。のちにGI・JpnIで4勝を挙げるアグネスタキオン産駒のダイワスカーレットは3歳下の半妹であり、ほかにも祖母・スカーレットインクの系統からはGI・JpnI9勝のヴァーミリアン(本馬の従甥、父エルコンドルパサー)など活躍馬が続出し、この血統は俗に「スカーレット一族」と呼ばれるようになる[6][7]

祖母インク、母ブーケは逞しい馬体の持ち主であったが[6]、本馬もその特徴をよく受け継いで幼駒の頃から大柄でがっしりとした体格を備え、性格的にも活発で放牧地では「ガキ大将」的な存在であった[8]。翌年より育成調教を開始。調教を担当した牡馬担当主任の東礼治郎は、首の力の異常な強さ、そして引っ張る手綱に反しつつ、騎乗者を睨みつけてくる様子に「大袈裟ではなく、本当に震え上がった」という[8]。この頃は気に入らないことがあれば頑なに反抗するといった非常にわがままな性格だったため、牧場スタッフを手こずらせた[8]。ただし、一度覚えたことは難なくこなす頭の良さも併せ持っていたという[8]

競走年齢の2歳に達した2003年夏に社台ファームの調教拠点・山元トレーニングセンターに送られたが、間もなく千歳に送り返される[8]。馬に活を入れようと考えた東は、社台ファーム生産馬のイングランディーレに騎乗していた公営ホッカイドウ競馬の騎手・五十嵐冬樹に調教騎乗を依頼した。そして五十嵐の手によって徹底的に追い込まれたダイワメジャーは、以後いくらか素直になったという[8]

戦績

2-3歳(2003-2004年)

上原博之

秋になり、姉のダイワルージュも手がけた上原博之厩舎に入厩。厩舎でも力の強さと神経質さでスタッフを振り回したが、非常な大器であるという点で関係者の見解は一致していた[8]

2003年12月28日、中山開催の新馬戦で菊沢隆徳を鞍上にデビュー。当日の装鞍所では上原が「あんなに暴れる馬を見たのははじめて」といい[8]、競馬会から出走取消を打診されたほど激しく暴れ[9]、さらにはじめて衆目の前に出た競走前のパドックでは、地面に腹這いになってしまうという珍しい姿をみせた[8]。本馬場入場後にも腰を下ろそうとする仕草を繰り返したことからウォーミングアップもできず、そのまま発走となる[8]。スタートでは出遅れて後方からのレース運びとなったが、向正面から進出を開始し、勝ったモンスターロードからクビ差の2着に入った[8]。なお、上原はパドックでの様子について「パニックの一種だと思う。脚を蹴り上げて騒ぐのもパニックなら寝てしまおうというのもパニック。どうしていいか、自分でも分からなくなってしまったのだろう。それにここまで暴れすぎて疲れてしまった。そして、ヘナヘナと腰を下ろしたくなった。そんなところだろう」と語っている[8]。馬主の大城敬三はダイワメジャーの性格的な部分を一切知らされておらず、パドックで寝た姿を見て非常に驚いたという[10]

翌2004年1月17日に中山・ダート1800メートルの未勝利戦で2戦目を迎える。落ち着かせるために調教助手の飯田直毅が装鞍所からパドックまで跨がり続け、鞍上の菊沢隆徳に交代してからは前走とは異なり返し馬(待機所への移動を兼ねたウォーミングアップ)もこなすことができた[8]。レースは最後の直線だけで後続に9馬身の差を付け、初勝利を挙げた[8]。走破タイム1分56秒4は、前週に同条件で行われた古馬(4歳以上馬)1000万下条件戦のタイムを0秒2上回る優秀なものだった[8]

次戦には自己条件戦のカトレア賞に登録したが除外となり、やむなく初勝利時と同じダート1800メートルの条件戦に出走したが、当日は単勝オッズ1.4倍の人気を裏切り4着と敗れる[8]。クラシック三冠初戦・皐月賞への出走権確保のため、3月21日にはスプリングステークス(皐月賞トライアル)で重賞に初出走。当日は16頭立て11番人気の評価で、レースではコーナリングが不安定な様子も見せたが、先行策から3着に粘り、皐月賞への優先出走権を得た[8]。これ以前に厩舎では、知らない場所に行くと興奮するダイワメジャーの性格を矯正しようと様々な試行錯誤を重ね、さらに「怪我をさせてはいけない」と従来控えめに行っていた調教を厳しいものに変えていたが、ダイワメジャーは厳しい調教で却ってストレスを発散させ、精神状態がよくなる様子がみられたという[8]

ミルコ・デムーロ(2017年)

4月18日の牡馬クラシック初戦・皐月賞では、社台ファーム代表の吉田照哉の進言で、騎手はそれまで騎乗した菊沢隆徳からイタリア人騎手のミルコ・デムーロに替わった[10]。当日は五十嵐冬樹を鞍上に据えるホッカイドウ競馬のコスモバルク、スプリングステークスの勝利馬ブラックタイドが人気を分けあうなか、ダートで1勝という実績のダイワメジャーは10番人気であった[11]

スタートが切られるとダイワメジャーはメイショウボーラーに続く2番手につける[11]。前半1000メートル通過は過去10年で3番目に早い59秒7というタイムで進むなか、ダイワメジャーは最終コーナーでメイショウボーラーに代わり先頭に立つ。最後の直線ではそのまま逃げ粘り、追いすがるコスモバルクに1馬身4分の1差を付けての優勝[11]。母スカーレットブーケ、姉ダイワルージュが果たせなかったクラシック制覇を遂げた[11]。調教師の上原、馬主の大城にとっても、これが初めてのGI制覇であった[11]。走破タイム1分58秒6はコースレコードに0秒1差という好内容であり、また1勝馬の皐月賞制覇は1950年のクモノハナ以来、実に54年ぶり6頭目の記録であった[11]

上原は「今日は落ち着いていたし、この馬にとって良いペースだったので、安心して見ていられた」「子供っぽい面はまだあるが、覚えてしまえば上手な競馬をしてくれる。ダービーが楽しみになった」と、クラシック二冠目・東京優駿(日本ダービー)への期待を口にした[12]。鞍上のデムーロにとっては前年のネオユニヴァースに続く皐月賞連覇であったが、競走後には「ネオユニヴァースと同じくらい力があると思う」と語り、同馬が達成したクラシック二冠について「頑張ってもらいたい」と述べた[12]。馬主生活30数年というキャリアの末にGIタイトルを手にした大城は、「ゴールに入った瞬間は、ちょっと恥ずかしくて言えない」という状態だったという一方で、2着コスモバルクの騎手がダイワメジャーを矯正した五十嵐冬樹だったことに、「五十嵐騎手は複雑な気持ちだったと思う」とも述べた[10]

5月30日、クラシック二冠が懸かる日本ダービーへ出走。ダイワメジャーには皐月賞から400メートル延びる2400メートルという距離についての不安が囁かれ、当日の人気では皐月賞に出走せずNHKマイルカップ(GI)を5馬身差・レースレコードで圧勝したキングカメハメハ、コスモバルク、青葉賞(GII)の勝利馬ハイアーゲームに次ぐ4番人気となった[13]。 スタートが切られると、1000メートル通過57秒6というハイペースを5番手で追走、最後の直線では3番手を追走していたコスモバルクともども伸びを欠き、レコードタイムで優勝したキングカメハメハの6着に終わった[13]

ダービーのあとは故郷・社台ファームで夏を過ごし、秋は三冠最終戦の菊花賞ではなく古馬相手となる天皇賞(秋)を目標とすることが決まる[14]。9月26日、柴田善臣を鞍上にオールカマー(GII)で復帰し、同じくここから始動したダービー3着のハイアーゲームに次ぐ2番人気の支持を受ける。しかしレースでは2番手追走から最後の直線で失速し、最下位9着と敗れる[15]。10月31日に迎えた天皇賞(秋)では12番人気と評価を落とし、結果も勝ったゼンノロブロイから4秒離された2戦連続の最下位17着に敗れた[15]

ダイワメジャーには皐月賞の頃から呼吸器の筋肉が麻痺し、気道が狭まり走行中の呼吸に支障を来す喘鳴症の兆候が出ており、この頃にはそれがすっかり悪化していたのであった[16]。喉から独特の呼吸音がすることから、俗に「ノド鳴り」とも呼ばれるこの疾病は、かつて兄・スリリングサンデーも発症し、古くはタニノムーティエ、近い年代ではゴールドアリュールといった一流馬が引退に追い込まれていた[16]。獣医師の所見では、その病状は「5段階で4から5」「正常時の60パーセントから70パーセントしか空気が入っていかない」という重いものであり、上原は引退も視野に入れていた[16]。しかし大城、吉田とも協議の上で治療が試みられることになり、11月19日、社台ホースクリニックで手術が行われた[16]。手術自体はさして難しくない[16]ものの、競走能力が戻る例は1~2割とされ、その見通しは「治る可能性は低いが、やれるだけのことはやってみよう」という程度のものであった[17]

4歳(2005年)

手術後は休養に入り、2005年4月にダービー卿チャレンジトロフィー(GIII)で復帰。当日3番人気に推されたダイワメジャーは淀みのない流れを2番手で追走すると、最後の直線で抜け出して2着チアズブライトリーに2馬身差を付けて勝利[18]。喘鳴症からの復活を遂げた。走破タイム1分32秒3はレースレコードであった[18]。上原は「直線で後ろを引き離したときにはゾクゾクしました。皐月賞と同じくらい嬉しい勝利です」と語り、社台ファームの長浜卓也は「上原先生から非常に順調との連絡をもらってはいたが、どんな走りをするのかという期待よりも、どうしても不安の方が大きかった。それにしても強かった。GI馬の貫禄を見せてもらった」と語った[18]

その後は順調に出走を続けたが、2005年にはほかに勝利を挙げることはできなかった。秋に出走したマイルチャンピオンシップ(GI)は、2番手追走から最後の直線で抜け出し、ゴール前でかわされたハットトリックを差し返しにいくもハナ差の2着[15]という惜敗であった。

5歳(2006年)

安藤勝己(2011年)

2006年春にマイラーズカップ(GII)で約1年ぶりの勝利。この競走以降、騎乗停止などの事情を除いては安藤勝己が主戦騎手として定着する[15]

同年春のGI競走・安田記念宝塚記念(安藤の騎乗停止で四位洋文騎乗)はいずれも4着となる。安田記念では2番人気の支持を受けていたが、最内枠からの発走で馬群に包まれたことに加え、全体の流れも遅くなったことで、持続的なスピードを持ち味とするが一気に抜け出す瞬発力に欠けるダイワメジャーには不利な展開となっていた[19]。その後は社台ファームで休養に入り、秋は毎日王冠(GII)から始動。安藤は安田記念での経験を踏まえ、平均的に流れていた全体のペースを吊り上げようと、あえて最終コーナーからスパートをかける作戦をとった[19]。最後の直線では並びかけてきたダンスインザムードと2度にわたって接触し一旦前に出られたものの、残り100メートルから再加速し、クビ差逆転しての勝利を挙げた[19]

当初の予定では、このあとは前年2着のマイルチャンピオンシップへ直行することになっていたが、毎日王冠が好内容であったこと、また、競走後のダイワメジャーの体調も良かったことから、2年前に最下位となっていた天皇賞(秋)への出走が決まる[17]。天皇賞にはフランス凱旋門賞への遠征を終えた五冠馬(当時)・ディープインパクトが出走を予定していたが、のちに回避が表明されたことにより一転して混戦模様を呈した[20]。当日は1番人気がGI3勝を挙げている牝馬のスイープトウショウで3.9倍、上位5頭までが10倍以下と人気が割れるなか、ダイワメジャーは7倍の4番人気となった[20]。なお、前日調教に跨がった調教助手の飯田によれば、このときのダイワメジャーからはかつてなく凄味のある感触が伝わってきたといい、「あまりに凄い感触で誰にも言うことができなかった。口に出すと自分にプレッシャーが掛かってしまうと思ったから」と振り返っている[9]

天皇賞を制したダイワメジャー(10月29日)。なお、画像の埒にもみられるように、この競走は「悠仁親王殿下御誕生慶祝」という副称を冠して行われる「慶祝競走」として行われた[20]

スタートが切られると、ダイワメジャーは逃げるインティライミから4~5馬身後方の2番手を追走、前半1000メートル通過は58秒8と淀みのないペースで流れた[19]。ダイワメジャーは残り400メートル地点で先頭に立ち、追い込んできたスウィフトカレントに半馬身の差を保ち続けたままゴール[19]。皐月賞以来924日ぶりのGI制覇を果たした[16]

安藤は「これまではダイワメジャーの力を出し切れるレースになることは少なかったけど、今回はこの馬に合った、淡々とした平均ペースになったのが良かった。我慢強い馬だから、スウィフトカレントが来たときにもう一回伸びてくれた」と感想を述べた[15]。また上原は後年行われたインタビューで「嬉しかった。当時は手術をしてGIを勝った馬はいなかったし、喘鳴症になったらもう駄目というイメージだった。それが同じ症状に苦しむ馬に希望を与えることができた。何とかなる、GIだって勝てると……。社台クリニックのスタッフが心から喜んでくれたのが印象に残っている」と述べている[9]。当の獣医師は「あれだけ走ってくれるのは10頭手術したうちの1頭ぐらいだと思う」との見解を示しており、吉田照哉はこの勝利を「奇跡と言っていい」と評した[16]

11月19日、マイルチャンピオンシップへ出走。当日は6頭のGI優勝馬が顔を揃えたなか、ダイワメジャーは単勝2.3倍の1番人気に推された。レースは前半600メートルが46秒0という速い流れを2番手で追走しながら、最終コーナーでは猛然とした勢いで先頭に立ち、ゴール前ではダンスインザムード(3番人気[21])に並ばれながらも前に出ることを許さず、同馬をクビ差退けて優勝[19]。GI2連勝を遂げた。天皇賞(秋)とマイルチャンピオンシップの連勝は、1987年にこれを達成したニッポーテイオー以来19年ぶり2頭目の例となった[21]。安藤は「本当に強い競馬だった。今日は特に行きっぷりが良かったし、ペースが速いのは分かっていたけど、無理に引っ張ることはしなかった。最後も後ろからダンスインザムードが来たとき、もう一度伸びてくれた。負ける気はしなかった。着差以上に強かったと思う[19]」と称えた。

11月30日には年末のグランプリ競走・有馬記念への出走を発表。それまで1600~2000メートルを中心に出走してきたダイワメジャーに、同競走の2500メートルは長すぎるとの見方もあったが、上原はそれまでの番組選択は喘鳴症の影響を最大限に考慮したものであり、血統背景や日本ダービー・宝塚記念での走りからみて距離に問題はないとした[22]。毎年12月に香港で行われる香港国際競走が隆盛をみてから、日本国内でも1600~2000メートル路線の実績馬は有馬記念を避けそちらへ回る事例が増えているなかで、マイルチャンピオンシップ優勝馬が同年の有馬記念へ出走するのは10年ぶりのことであった[23]

有馬記念へは、ジャパンカップを制しGI6勝目を挙げていたディープインパクトに次ぐ、ファン投票2位で出走[24]。当日の人気ではディープインパクトに加え、当年の皐月賞、日本ダービー、菊花賞、ジャパンカップをそれぞれ2、3、2、2着としていたドリームパスポートに次ぐ3番人気となった。レースではアドマイヤメインの大逃げを2番手で追走、最終コーナーでこれをとらえ、先頭で最後の直線に入ったが、ディープインパクトにかわされ、さらにポップロックにも差されての3着となった[15]

翌年1月に発表された中央競馬の年度表彰・JRA賞において、ダイワメジャーは最優秀短距離馬に選出された。また、仮定の斤量数値で各馬の序列化を図るJPNサラブレッドランキングでは、Mコラム(1400~1899メートル)およびIコラム(1900 - 2199メートル)でそれぞれ1位(全距離区分の総合では3位タイ)となる121ポンドの評価を得た[5]

6歳(2007年)

2007年、アラブ首長国連邦ドバイで行われるドバイデューティフリーへの招待を受け、天皇賞で3着に退けたアドマイヤムーンと共に出走。当年は日本からの2騎を含め、出走16頭中8頭が国際GI優勝馬という顔ぶれで[25]、4つのG1競走が行われるドバイミーティングの中でも特に出走馬の層が厚いとされた[26]。そうした中でダイワメジャーは調教において際だった動きを見せており、イギリスのブックメーカーの中にはダイワメジャーが1番人気になったものもあった[25][注 1]

スタートが切られると安藤・ダイワメジャーは常の通り先行策をとり、最終コーナーから直線にかけて先頭に立ったが[26]、中団に位置していたアドマイヤムーンに残り300メートル付近で一気にかわされ、同馬から5馬身弱の差で3着となった[25]。安藤は「この馬には不向きな瞬発力勝負になってしまった。馬体を併せる形になっていれば、また違ったかもしれないけれど」と感想を述べた[26]。安藤は後年、スローペースに流れたドバイデューティーフリーではなく、アメリカ調教馬が競り合って進むためペースが速くなるドバイワールドカップに出ていれば、同じコースで行った調教の様子からみて、また同競走で3着となったブリッシュラック(前年の安田記念優勝馬)との比較からみても、好結果が残せたのではないかとしている[27]

帰国後の6月3日、過去2回を8、4着としていた安田記念に出走。高松宮記念優勝馬・スズカフェニックスに次ぐ2番人気に支持される。枠順は1枠2番と前年に続き内枠であり、スタート後はやはり内で包まれる場面もあり、直線を向いた時点では4番手の位置であった[15]。直線では逃げ粘るコンゴウリキシオーを追走、残り100メートルから馬体を接しての競り合いとなる[15]。安藤は鞭を嫌がるダイワメジャーの性格を考慮して手綱を押す動作のみで追い続け、ゴール前でクビ差抜け出して優勝[28]。現役最多となるGI4勝目を挙げた。安田記念がGIに格付けられた1984年以降、クラシック競走の優勝馬が安田記念も制したのは初めての例となった[28]

安藤は「内枠だったのでどこで馬を外に出そうか考えていた。最後はなかなかかわせないので焦ったが、一番得意な距離で勝てて良かった」と語った[28]。また上原は「内枠を克服して、最後は本来の走りで勝ってくれた。この馬の頑張りには本当に頭が下がる」と述べ、ウィナーズサークルへ向かうダイワメジャーの後方で、涙を拭う姿もみせた[29]

6月24日には春のグランプリ・宝塚記念に出走。創設48年目にして初めてフルゲートとなり、7頭のGI優勝馬が揃い競走史上最高のレベルと喧伝された[30]なか、ダイワメジャーは7倍の5番人気となる[31]。しかし先行することができず中団からの競馬となり、そのまま伸びてくることもなく、アドマイヤムーンの12着と大敗した[15]。上原によれば、このときのダイワメジャーは体調の問題を抱えていた。阪神競馬場の出張馬房に入る際、上原はできるだけ静かな場所に入れたいと「隣に他の馬が入らない場所」という希望を述べたところ、隅の馬房を勧められた。しかし、そこは付近を通る電車の騒音や場内放送が鳴り響くなど非常に劣悪な環境であり、競走前日には蒸し暑くなったこともあり、ダイワメジャーは食欲をなくしてしまったのだという[32]。当日の馬体重は516kgという過去最低の数字であった[32]。安藤も「いつになく落ち着いていると良い方に解釈したが、どうもそうではなかったようだ」と振り返っている[32]

夏は社台ファームは休養に入ったが、当年8月15日に美浦トレーニングセンター馬インフルエンザの発生が確認[33]されたことから、ダイワメジャーの美浦への帰厩は1週間ほど遅れた[34]。しかしその後の調整に大きな影響はなく[34]、前年と同じく毎日王冠より始動[35]。当日は出走中最高斤量の59kgを背負いながら、単勝オッズ1.8倍の1番人気に支持された[35]。レースは1000メートル通過57秒5というハイペースを先行し[34]早めに先頭に立ったが、後方から追い込んだチョウサンとアグネスアークに差されての3着となった[35]。安藤は「ブライトトゥモロー(5着馬[35]に併せていくところまではよかったが、その外から来られた。あれではちょっと」と述べ、上原は「今年はちょっとペースが速かった。あと、外から一気に来られてしまったのも痛かった。(差し馬が)もっと近いところにいてくれたら、もうひと伸びできる馬なんですが」と悔いつつも、「本当は勝たないといけなかったが、先行勢に厳しい流れのなか、よく走ってくれた。最後は決め手の差で負けてしまったが、力のあるところは見せてくれたし、たたき台の前哨戦としてはまずまずの内容だった」などと先への期待を語った[35]

10月28日には史上2頭目の連覇が懸かる天皇賞(秋)に出走。当日は、馬インフルエンザの影響から凱旋門賞への遠征を断念し、史上4頭目の天皇賞春秋連覇を狙うメイショウサムソンが2.9倍の1番人気、宝塚記念のあと40億円と伝えられる価格でダーレー・ジャパン・ファームに譲渡された[36]アドマイヤムーンが3.8倍の2番人気、ダイワメジャーが5.6倍の3番人気という順となった[35]。スタートが切られるとダイワメジャーは5~6番手を追走、最後の直線では内側に位置していた馬の斜行の煽りも受け[15]、メイショウサムソンの9着と敗れた[35]。同じく不利を受けたアドマイヤムーンは6着となっており、斜行したエイシンデピュティ(8位入線)は、アグネスアーク、シャドウゲイト、アドマイヤムーン、ダイワメジャーの進路を妨害したかどで14着に降着となった[35]。安藤は「さあ、これからという時にバランスを崩されて馬が斜めになってしまった。内はガラッと空いていたし、こんなことなら逃げれば良かった」と語った[37]

11月18日にはマイルチャンピオンシップへ出走。当日は1番人気に支持されたが、前年よりも不安視され、オッズは3.8倍であった[38]。前走の反省から、「先頭から行くぐらいのつもりで」と語っていた安藤・ダイワメジャーはスタートから先頭を奪うと[15]、道中いったん3番手に下げたのち、最後の直線残り300メートル付近で再び先頭に立った[39]。最後は追い込んできたスーパーホーネットをクビ差抑え優勝[39]。史上4位タイ(当時)となるGI5勝目をマークした[39]。マイルチャンピオンシップ連覇は史上5頭目[39]、前年の同競走から安田記念→マイルチャンピオンシップと続いた「マイルGI三連覇」は、史上3頭目の記録であった[40]。安藤は「並ぶ形になると本当に強い馬、残り50メートルの地点でかわされなかったので、何とかなると思った」と感想を述べ[39]、馬主の大城敬三は「安藤騎手はきっちりと、最高の乗り方をしてくれた」と称えた[40]。この時点で獲得賞金が10億円を突破し、中央競馬史上8頭目の「10億円ホース」となった。

ダイワスカーレット

前週には妹のダイワスカーレットがエリザベス女王杯でGI・JpnIあわせて3つ目の勝利を挙げており[39]、年末の有馬記念には「兄妹対決」という興趣も加えられることになった[38]。ダイワメジャーは11月26日にラストランとなる有馬記念への出走を正式発表[39]、ファン投票においては、当年牝馬として64年ぶりに日本ダービーを制したウオッカ、メイショウサムソンに次ぐ3位で選出され、4位のダイワスカーレットを上回った。スカーレットも安藤が主戦騎手を務めており、安藤は翌年以降を考慮してスカーレットへ騎乗、メジャーには皐月賞でコンビを組んだミルコ・デムーロが騎乗することになった[38]

当日の単勝オッズで10倍以下となったのはメイショウサムソン、ポップロック、ウオッカ、ロックドゥカンブ、ダイワスカーレットまでで、ダイワメジャーは15.2倍の6番人気という評価になった[41]。スタートが切られるとチョウサンが先頭を奪い、ダイワスカーレットが2番手、ダイワメジャーは5番手を追走[41]。途中からダイワスカーレットはチョウサンに並びかけて先頭でレースを進めたが、3番手を追走していた9番人気のマツリダゴッホが残り400メートル地点から一気に先頭に立ち、そのままゴールまで押しきって優勝した[41]。1馬身あまり差がついた2着にダイワスカーレット、ダイワメジャーはさらに2馬身差の3着となり、最後のレースを終えた[41]。競走後、デムーロは「もう少し強気にいけば2着はあったかも」とコメントした[15]。上原は「惜しむらくは妹と同脚質だったこと。ダイワスカーレットに譲らざるを得ず、自分の競馬ができなかった。それで最後に猛然と追い上げてきたときは胸が熱くなった」と振り返っている[9]

同日の最終レース終了後、ダイワメジャーの引退式が挙行された。デムーロは「皐月賞は思い出に残るレース。今日も勝ちたかったですが、3着でごめんなさい」と語り、安藤は「一生忘れられない馬。引退式で跨がって寂しい気持ちになりました。メジャーの子供にも乗ってみたい」と語った[42]。上原は「デビューからのことを色々と思い出して、言葉が出なくなりました。メジャーにはたくさんの勉強をさせてもらって、本当に感謝しています」と語り、感泣した[42]。なお、この競走前から大城は「本当はもう1年走らせたい。マイルだったら世界一、もう負けないくらいの馬だと思っているから」と未練を覗かせており[40]、また調教助手の飯田によれば、天皇賞を勝ったときに近い状態が競走2日後にやってきていたといい、飯田も「牧場に旅立ってしまうのが本当に惜しいと思った」と振り返っている[9]

翌年1月8日発表されたJRA賞において、ダイワメジャーは2年連続の最優秀短距離馬に選出[3]。レーティングにおいても前年に引き続きMコラム121ポンドの評価を受け、世界29位タイ(日本調教馬では4位タイ)となった[43]

競走成績

以下の内容はnetkeiba.com「ダイワメジャーの競走成績」に基づく[44]

競走日 競馬場 競走名 距離(馬場)


オッズ
(人気)
着順 タイム
(上り3F)
着差 騎手 斤量 1着馬(2着馬)
2003.12.28 中山 2歳新馬 芝1600m(良) 12 5 6 02.0(01人) 02着 1:36.9 (35.0) -0.0 菊沢隆徳 55kg モンスターロード
2004.01.17 中山 3歳未勝利 ダ1800m(良) 16 7 14 01.9(01人) 01着 1:56.4 (39.4) -1.5 菊沢隆徳 56kg (フサイチバルドル)
0000.02.29 中山 3歳500万下 ダ1800m(良) 16 8 15 01.4(01人) 04着 1:57.0 (40.8) -0.8 菊沢隆徳 56kg フルオブファイト
0000.03.21 中山 スプリングS GII 芝1800m(稍) 16 4 7 73.7(11人) 03着 1:48.5 (36.3) -0.2 菊沢隆徳 56kg ブラックタイド
0000.04.18 中山 皐月賞 GI 芝2000m(良) 18 7 14 32.2(10人) 01着 1:58.6 (33.9) -0.2 M.デムーロ 57kg コスモバルク
0000.05.30 東京 東京優駿 GI 芝2400m(良) 18 2 4 07.6(04人) 06着 2:24.3 (36.3) -1.0 M.デムーロ 57kg キングカメハメハ
0000.09.26 中山 オールカマー GII 芝2200m(稍) 9 7 7 03.1(02人) 09着 2:15.0 (36.7) -1.6 柴田善臣 56kg トーセンダンディ
0000.10.31 東京 天皇賞(秋) GI 芝2000m(稍) 17 8 17 37.5(12人) 17着 2:02.9 (38.6) -4.0 柴田善臣 56kg ゼンノロブロイ
2005.04.03 中山 ダービー卿CT GIII 芝1600m(良) 16 3 5 05.8(03人) 01着 1:32.3 (34.5) -0.3 柴田善臣 57.5kg チアズメッセージ
0000.06.05 東京 安田記念 GI 芝1600m(良) 18 2 3 06.8(02人) 08着 1:32.8 (35.0) -0.5 柴田善臣 58kg アサクサデンエン
0000.07.31 新潟 関屋記念 GIII 芝1600m(良) 18 6 11 02.7(01人) 02着 1:32.4 (33.6) -0.1 横山典弘 57kg サイドワインダー
0000.10.09 東京 毎日王冠 GII 芝1800m(稍) 17 2 3 04.6(01人) 05着 1:47.0 (33.8) -0.5 横山典弘 58kg サンライズペガサス
0000.11.20 京都 マイルCS GI 芝1600m(良) 17 6 12 13.0(04人) 02着 1:32.1 (34.9) -0.0 C.ルメール 57kg ハットトリック
2006.02.26 中山 中山記念 GII 芝1800m(重) 12 1 1 02.1(01人) 02着 1:49.7 (36.3) -0.8 M.デムーロ 58kg バランスオブゲーム
0000.04.15 阪神 マイラーズC GII 芝1600m(稍) 11 8 11 01.8(01人) 01着 1:36.2 (34.7) -0.1 安藤勝己 58kg ダンスインザムード
0000.06.04 東京 安田記念 GI 芝1600m(良) 18 1 1 05.8(02人) 04着 1:33.1 (34.8) -0.5 安藤勝己 58kg ブリッシュラック
0000.06.25 京都 宝塚記念 GI 芝2200m(稍) 13 4 4 25.6(04人) 04着 2:14.1 (36.7) -1.1 四位洋文 58kg ディープインパクト
0000.10.08 東京 毎日王冠 GII 芝1800m(良) 16 8 16 06.4(03人) 01着 1:45.5 (34.5) -0.0 安藤勝己 58kg (ダンスインザムード)
0000.10.29 東京 天皇賞(秋) GI 芝2000m(良) 16 7 14 07.0(04人) 01着 1:58.8 (35.2) -0.1 安藤勝己 58kg (スウィフトカレント)
0000.11.19 京都 マイルCS GI 芝1600m(良) 18 5 10 02.3(01人) 01着 1:32.7 (35.1) -0.1 安藤勝己 57kg (ダンスインザムード)
0000.12.24 中山 有馬記念 GI 芝2500m(良) 14 4 5 15.1(03人) 03着 2:32.5 (35.3) -0.6 安藤勝己 57kg ディープインパクト
2007.03.31 UAE ドバイDF G1 芝1777m (Gd) 18 - 13 発売なし 03着 - 4馬身3/4[26] 安藤勝己 57kg Admire Moon
0000.06.03 東京 安田記念 GI 芝1600m(良) 18 1 2 04.4(02人) 01着 1:32.3 (34.4) -0.0 安藤勝己 58kg コンゴウリキシオー
0000.06.24 阪神 宝塚記念 GI 芝2200m(稍) 18 6 11 11.0(05人) 12着 2:15.8 (39.8) -3.4 安藤勝己 58kg アドマイヤムーン
0000.10.07 東京 毎日王冠 GII 芝1800m(良) 14 1 1 01.8(01人) 03着 1:44.5 (34.8) -0.3 安藤勝己 59kg チョウサン
0000.10.28 東京 天皇賞(秋) GI 芝2000m(稍) 16 7 14 05.6(03人) 09着 1:59.3 (35.4) -0.9 安藤勝己 58kg メイショウサムソン
0000.11.18 京都 マイルCS GI 芝1600m(良) 18 4 8 03.8(01人) 01着 1:32.7 (34.5) -0.0 安藤勝己 57kg スーパーホーネット
0000.12.23 中山 有馬記念 GI 芝2500m(稍) 15 2 4 15.2(06人) 03着 2:34.2 (36.4) -0.6 M.デムーロ 57kg マツリダゴッホ

種牡馬時代

種牡馬時代(2008年、社台スタリオンステーション)

種牡馬として総額18億円のシンジケートが組まれていたダイワメジャーは、12月27日に繋養先となる社台スタリオンステーションに到着[45]。翌春から種付けを開始し、交配頭数は初年度から223、181、163と推移した[46]。初年度産駒は2011年6月19日にデビュー、同日の新馬戦(阪神競馬場、芝1600m)でダローネガとエピセアロームが1、2着を占めるというスタートを切る[9][47]。のち勝ち上がったエピセアロームが小倉2歳ステークスを制し、産駒の重賞初勝利を挙げた[48]。当年、2歳種牡馬ランキングで2位、新種牡馬では1位となった[48]。翌2012年にはカレンブラックヒルがNHKマイルカップを制し、産駒がGI競走を初制覇[49]。同年には244頭との交配が行われ、この世代がデビューした2015年には、阪神ジュベナイルフィリーズを制し2歳女王となったメジャーエンブレムらの活躍により、過去5年間その地位を占め続けたディープインパクトを抑えて2歳リーディングサイアーとなった[50][注 2]。産駒の活躍は芝路線だけにとどまらず、2016年産駒からはアドマイヤマーズノーヴァレンダと芝・ダートそれぞれで2歳GI勝ち馬を輩出した。2019年には前述のアドマイヤマーズが香港マイルを制し、産駒の海外G1初制覇を挙げた[52]

2020年3月22日、JRA史上22頭目となるJRA通算1000勝を達成した[53]

2022年7月17日、JRA史上13頭目となるJRA通算1200勝を達成した[54]

2023年11月22日に種牡馬引退を発表、種牡馬引退後は功労馬として引き続き社台スタリオンステーションで余生を送る[55]

2024年1月8日、中山競馬場12Rでスプレモフレイバーが1着となり、JRA史上11頭目の産駒のJRA通算勝利数が1300勝となった[56]

特徴・評価

競走馬としての特徴・評価

競走面の特徴

競走馬としては、先行策からの早仕掛けと映るほどのロングスパートを身上としていた[9]。ダイワメジャーでGI4勝を挙げた安藤勝己は、その走りについて「いつも先頭に立つところまではいいが、前に馬がいないと遊んでしまうようなところがある。ただ、その部分は長所でもあって、状態は今ひとつでも競馬に行って馬と身体を併せると、反応して差し返すところがある。競り合いになってぴったりくっついていれば頑張れる」と述べている[27]。その一方で、瞬発力勝負になり一瞬でかわされるような展開には向かず、「理想は、最初から平均ペースにもっていけること」とした[27]。ライターの谷川善久は、「自身の適距離を越える有馬記念でも2年連続3着に粘っているように、スピードの持続力は天下一品。また、並び掛けられると二の脚を使って相手を突き放し、追いかければ確実にターゲットを捉える、優れた勝負根性も光る。本気モードで駆けるダイワメジャーを負かすのは、かなり困難な仕事だった」と評している[57]武豊はダイワメジャーが6歳となった2007年1月に行われたインタビューにおいて、「あの馬は本当にしぶといし、敵に回すとやっかいですよね」と評している[58]。距離適性はマイルから中距離を得意としていたこともあって、ダイワメジャーの勝利時の平均距離は1733メートルで、これは歴代の「10億円ホース」の内で最小値の記録(2012年時点)である[59]。現在、この記録はグランアレグリアによって最小値が記録されている。

身体・精神面の特徴

がっしりとした体躯は母方から受け継いだものとされる[60]。その体格に加えて若駒の頃には気性も荒く、3人がかりでも押さえつけられなかったことがあったといい、危険であるため厩舎の両端にロープが張られたこともあった[9]。若駒の頃は環境変化に敏感ですぐに内臓の具合が悪くなる体質であったが、古馬になってからはそうした精神面の脆さがある程度解消され、国外への遠征が可能なほどになった[29]。種牡馬入りしてからの担当者は、ダイワメジャーは小心さと好奇心の強さを併せもつため制御が難しいものの、人間を信用しており、進んで信頼関係を結ぼうとする面もあるとの印象を語っている[61]。種牡馬として繋養されている社台スタリオンステーション事務局の徳武英介は、ダイワメジャーのまじめで健康、壊れにくいという強みは母の父ノーザンテースト譲りのものだろうと述べている[62]

表彰

年度 表彰 票数 出典
2006年 JRA賞最優秀短距離馬 200/289 [5]
2007年 234/289 [3]

レーティング

年度 馬齢 馬場 距離区分(m 出典
2004年 3歳 I(1900-2199) 113 [63]
2005年 4歳 M(1400-1899) 117 [4]
2006年 5歳 M(1400-1899) 121 [5]
I(1900-2199)
2007年 6歳 M(1400-1899) 121 [3]

投票企画の結果

年度 企画者 企画 順位 出典
2010年 優駿(日本中央競馬会) 未来に語り継ぎたい不滅の名馬たち 第47位 [64]
2012年 距離別「最強馬」はこの馬だ!(1600メートル部門) 第6位 [65]
2015年 未来に語り継ぎたい名馬BEST100 第60位 [57]
2021年 新世紀の名馬ベスト100 第36位 [66]

種牡馬成績

年度別成績(中央+地方)

出走 勝利 順位 AEI 収得賞金
頭数 回数 頭数 回数
2011年 101 298 27 33 42 1.21 4億6751万8000円
2012年 231 1382 109 165 7 2.22 19億2967万7500円
2013年 298 2144 130 230 4 1.97 22億4102万7500円
2014年 339 2646 133 217 6 1.66 22億1873万3000円
2015年 414 3221 187 315 4 1.52 25億6896万0500円
2016年 442 3491 201 337 3 1.56 28億8980万6000円
2017年 429 3519 208 356 5 1.62 29億6572万1500円
2018年 384 2927 164 279 6 1.61 26億0482万8000円
2019年 361 2647 143 255 7 1.61 24億1706万1000円
2020年 361 2672 147 231 7 1.40 21億0803万6000円
2021年 345 2694 135 219 10 1.26 18億3576万6000円

主な産駒

GI・JpnI競走優勝馬

太字はGI(またはJpnI)競走。

  • カレンブラックヒル(2009年産)
    カレンブラックヒル(2009年産)
  • コパノリチャード(2010年産)
    コパノリチャード(2010年産)
  • ブルドッグボス(2012年産)
    ブルドッグボス(2012年産)
  • メジャーエンブレム(2013年産)
    メジャーエンブレム(2013年産)
  • レーヌミノル(2014年産)
    レーヌミノル(2014年産)
  • アドマイヤマーズ(2016年産)
    アドマイヤマーズ(2016年産)
  • ノーヴァレンダ(2016年産)
    ノーヴァレンダ(2016年産)
  • レシステンシア(2017年産)
    レシステンシア(2017年産)
  • セリフォス(2019年産)
    セリフォス(2019年産)
  • アスコリピチェーノ(2021年産)
    アスコリピチェーノ(2021年産)

グレード制重賞優勝馬

ほか地方限定重賞優勝馬

母父としての産駒

グレード制重賞優勝馬

地方重賞優勝馬

血統

血統背景

父サンデーサイレンス、母の父ノーザンテーストはいずれも社台グループが輸入し、それぞれ一時代を築いた種牡馬である。日本における牝系祖・スカーレットインクはアメリカからの輸入馬で、その曾祖母(本馬の5代母)・ユアホステスの血統が見込まれての導入であった[6]。「スカーレット一族」と称される下記近親馬のほか、広くはそれぞれ米二冠馬のマジェスティックプリンス[6]リアルクワイエットダービーステークス優勝馬セクレトがユアホステス系の出身である[7]

血統表

ダイワメジャー血統 (血統表の出典)[§ 1]
父系 サンデーサイレンス系ヘイロー系
[§ 2]

*サンデーサイレンス
Sunday Silence
1986 青鹿毛
アメリカ
父の父
Halo
1969 黒鹿毛
アメリカ
Hail to Reason
1958
Turn-to
Nothirdchance
Cosmah
1953
Cosmic Bomb
Almahmoud
父の母
Wishing Well
1975 鹿毛
アメリカ
Understanding
1963
Promised Land
Pretty Ways
Mountain Flower
1964
Montparnasse
Edelweiss

スカーレットブーケ
1988 栗毛
北海道千歳市
*ノーザンテースト
Northern Taste
1971 栗毛
カナダ
Northern Dancer Nearctic
Natalma
Lady Victoria Victoria Park
Lady Angela
母の母
*スカーレットインク
Scarlet Ink
1971 栗毛
アメリカ
Crimson Satan Spy Song
Papila
Consentid Beau Max
La Menium
母系(F-No.) 4号族(FN:4-d) [§ 3]
5代内の近親交配 Almahmoud 4×5、Royal Charger 5×5、Lady Angela 4×5(母内) [§ 4]
出典
  1. ^ [120]
  2. ^ [121][122]
  3. ^ [120][122]
  4. ^ [120][121][122]


近親(重賞勝利馬)

  1. 括弧内は各馬の優勝重賞競走。太字はGIおよびJpnI競走。

脚注

[脚注の使い方]

注釈

  1. ^ イスラム教国のアラブ首長国連邦では賭博を禁忌とするため馬券が発売されない。
  2. ^ ディープインパクトは2010年に産駒がデビューして以降この年のみ2歳リーディングサイアー獲得を逃している[51]

出典

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  2. ^ “ダイワメジャーが競走馬登録抹消、種牡馬生活へ”. ラジオNIKKEI. 2022年4月16日閲覧。
  3. ^ a b c d e 『優駿』2008年2月号、pp.14-16
  4. ^ a b 『優駿』2006年2月号、pp.28-35
  5. ^ a b c d 『TURF HERO 2006』pp.137-142
  6. ^ a b c d 『優駿』2008年3月号、pp.70-75
  7. ^ a b c d e f g h i j k 平出(2014)pp.50-51
  8. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r 『優駿』2004年6月号、pp.13-17
  9. ^ a b c d e f g h 『サラブレ』2011年9月号、pp.140-145
  10. ^ a b c 『優駿』2004年6月号、pp.63-65
  11. ^ a b c d e f 『優駿』2004年6月号、pp.43-45
  12. ^ a b 『優駿』2004年6月号、pp.138-139
  13. ^ a b 『優駿』2004年7月号、pp.14-15
  14. ^ 『優駿』2004年9月号、p.38
  15. ^ a b c d e f g h i j k l 『優駿』2009年8月号、pp.155-161
  16. ^ a b c d e f g 『優駿』2006年12月号、pp.30-32
  17. ^ a b 『優駿』2006年12月号、pp.54-57
  18. ^ a b c 『優駿』2005年6月号、pp.92-93
  19. ^ a b c d e f g 『優駿』2007年1月号、pp.44-45
  20. ^ a b c 『優駿』2006年12月号、pp.80-81
  21. ^ a b 『優駿』2007年1月号、pp.82-83
  22. ^ 『優駿』2007年1月号、pp.20-21
  23. ^ 『優駿』2007年1月号、pp.22-23
  24. ^ 『優駿』2011年1月号、p.37
  25. ^ a b c 『優駿』2007年5月号、p.114
  26. ^ a b c d 『優駿』2007年5月号、pp.16-17
  27. ^ a b c 亀谷(2007)pp.94-98
  28. ^ a b c 『優駿』2007年8月号、pp.66-67
  29. ^ a b 『優駿』2007年8月号、pp.46-49
  30. ^ 『優駿』2007年8月号、p.28
  31. ^ 『優駿』2007年8月号、p.68
  32. ^ a b c 『優駿』2007年8月号、p.34
  33. ^ 『優駿』2007年10月号、p.56
  34. ^ a b c 『優駿』2007年11月号、pp.20-23
  35. ^ a b c d e f g h 『優駿』2007年12月号、pp.70-73
  36. ^ 『優駿』2007年11月号、p.13
  37. ^ “怒りの福永「もうG1に乗らないで…」”. JBISサーチ (2007年10月29日). 2016年4月8日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年4月8日閲覧。
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  39. ^ a b c d e f g 『優駿』2008年1月号、pp.64-67
  40. ^ a b c 『優駿』2008年1月号、pp.50-53
  41. ^ a b c d 『優駿』2008年2月号、pp.23-25
  42. ^ a b 『優駿』2008年2月号、pp.84-85
  43. ^ 『優駿』2008年2月号、pp.36-42
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  47. ^ “2011年6月19日(日)4回阪神2日 5R サラ系2歳 新馬”. JBIS-Search. 公益社団法人日本軽種馬協会. 2020年6月25日閲覧。
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  55. ^ ダイワメジャーが事実上種牡馬引退へ アドマイヤマーズ、セリフォスなどを輩出日刊スポーツ、2023年11月22日配信・閲覧
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  63. ^ 『TURF HERO 2004』pp.132-135
  64. ^ 『優駿』2010年8月号、p.48
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  73. ^ “ブルドッグボス”. JBISサーチ. 2019年12月9日閲覧。
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  75. ^ “メジャーエンブレム完勝! 人気に応え2歳女王に輝く!/阪神JF”. netkeiba.com (Net Dreamers Co., Ltd.). (2015年12月13日). https://news.netkeiba.com/?pid=news_view&no=105260 2015年12月13日閲覧。 
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  79. ^ 【デイリー杯2歳S】アドマイヤマーズが逃げ切って3連勝&重賞初Vサンケイスポーツ(2018年11月10日)2018年11月11日閲覧。
  80. ^ “【香港マイル】アドマイヤマーズが抜け出し快勝! 天国のオーナーに捧ぐV/海外競馬レース結果”. netkeiba.com. Net Dreamers Co., Ltd. (2019年12月8日). 2019年12月8日閲覧。
  81. ^ アドマイヤマーズ | 競走馬データ - netkeiba.com 2018年11月11日閲覧。
  82. ^ “【全日本2歳優駿】ノーヴァレンダが3連勝で戴冠”. サンスポZBAT! (2018年12月9日). 2019年12月8日閲覧。
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  111. ^ “ヒロシゲウェーブ”. JBISサーチ. 2023年6月9日閲覧。
  112. ^ “ナミュール”. JBISサーチ. 2023年10月21日閲覧。
  113. ^ “グランブリッジ”. JBISサーチ. 2023年3月1日閲覧。
  114. ^ “キミワクイーン”. JBISサーチ. 2023年6月11日閲覧。
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  121. ^ a b “ダイワメジャーの血統データ|競馬ラボ”. 競馬ラボ. smart.keibalab.jp. 2020年7月16日閲覧。
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参考文献

  • 亀谷敬正『安藤勝己の頭脳』(白夜書房、2007年)ISBN 4861912709
  • 島田明宏『武豊インタビュー集スペシャル 名馬篇』(廣済堂出版、2007年)ISBN 4331654117
  • 平出貴昭『覚えておきたい日本の牝系100』(スタンダードマガジン、2014年)ISBN 4908960003
  • 『グラフ優駿 TURF HERO 2004』優駿3月号増刊(日本中央競馬会)
  • 『グラフ優駿 TURF HERO 2006』優駿3月号増刊(日本中央競馬会)
  • 優駿』(日本中央競馬会)各号
  • 『サラブレ』2011年9月号(エンターブレイン)

外部リンク

 
表彰・GI勝ち鞍
啓衆社賞
最良スプリンター
優駿賞
スプリンター賞
最優秀スプリンター
JRA賞
最優秀スプリンター
最優秀短距離馬
皐月賞勝ち馬
1930年代
1940年代

第2回 ウアルドマイン / 第3回 セントライト / 第4回 アルバイト / 第5回 ダイヱレク / 第6回 クリヤマト / 第7回 トキツカゼ / 第8回 ヒデヒカリ / 第9回 トサミドリ

1950年代

第10回 クモノハナ / 第11回 トキノミノル / 第12回 クリノハナ / 第13回 ボストニアン / 第14回 ダイナナホウシユウ / 第15回 ケゴン / 第16回 ヘキラク / 第17回 カズヨシ / 第18回 タイセイホープ / 第19回 ウイルデイール

1960年代

第20回 コダマ / 第21回 シンツバメ / 第22回 ヤマノオー / 第23回 メイズイ / 第24回 シンザン / 第25回 チトセオー / 第26回 ニホンピローエース / 第27回 リュウズキ / 第28回 マーチス / 第29回 ワイルドモア

1970年代
1980年代
1990年代
2000年代

第60回 エアシャカール / 第61回 アグネスタキオン / 第62回 ノーリーズン / 第63回 ネオユニヴァース / 第64回 ダイワメジャー / 第65回 ディープインパクト / 第66回 メイショウサムソン / 第67回 ヴィクトリー / 第68回 キャプテントゥーレ / 第69回 アンライバルド

2010年代

第70回 ヴィクトワールピサ / 第71回 オルフェーヴル / 第72回 ゴールドシップ / 第73回 ロゴタイプ / 第74回 イスラボニータ / 第75回 ドゥラメンテ / 第76回 ディーマジェスティ / 第77回 アルアイン / 第78回 エポカドーロ / 第79回 サートゥルナーリア

2020年代

第80回 コントレイル / 第81回 エフフォーリア / 第82回 ジオグリフ / 第83回 ソールオリエンス / 第84回 ジャスティンミラノ

   

国際競走指定前:
001回(1937年) ハツピーマイト
003回(1938年) ヒサトモ
005回(1939年) テツモン
007回(1940年) ロツキーモアー
009回(1941年) エステイツ
011回(1942年) ニパトア
013回(1943年) クリヒカリ
016回(1947年) トヨウメ
018回(1948年) カツフジ
020回(1949年) ニユーフオード
022回(1950年) ヤシマドオター
024回(1951年) ハタカゼ
026回(1952年) トラツクオー
028回(1953年) クインナルビー
030回(1954年) オパールオーキツト
032回(1955年) ダイナナホウシユウ
034回(1956年) ミツドフアーム
036回(1957年) ハクチカラ
038回(1958年) セルローズ
040回(1959年) ガーネツト
042回(1960年) オーテモン
044回(1961年) タカマガハラ
046回(1962年) クリヒデ
048回(1963年) リユウフオーレル
050回(1964年) ヤマトキヨウダイ
052回(1965年) シンザン
054回(1966年) コレヒデ
056回(1967年) カブトシロー

058回(1968年) ニットエイト
060回(1969年) メジロタイヨウ
062回(1970年) メジロアサマ
064回(1971年) トウメイ
066回(1972年) ヤマニンウエーブ
068回(1973年) タニノチカラ
070回(1974年) カミノテシオ
072回(1975年) フジノパーシア
074回(1976年) アイフル
076回(1977年) ホクトボーイ
078回(1978年) テンメイ
080回(1979年) スリージャイアンツ
082回(1980年) プリテイキャスト
084回(1981年) ホウヨウボーイ
086回(1982年) メジロティターン
088回(1983年) キョウエイプロミス
090回(1984年) ミスターシービー
092回(1985年) ギャロップダイナ
094回(1986年) サクラユタカオー
096回(1987年) ニッポーテイオー
098回(1988年) タマモクロス
第100回(1989年) スーパークリーク
第102回(1990年) ヤエノムテキ
第104回(1991年) プレクラスニー
第106回(1992年) レッツゴーターキン
第108回(1993年) ヤマニンゼファー
第110回(1994年) ネーハイシーザー
第112回(1995年) サクラチトセオー
第114回(1996年) バブルガムフェロー

第116回(1997年) エアグルーヴ
第118回(1998年) オフサイドトラップ
第120回(1999年) スペシャルウィーク
第122回(2000年) テイエムオペラオー
第124回(2001年) アグネスデジタル
第126回(2002年) シンボリクリスエス
第128回(2003年) シンボリクリスエス
第130回(2004年) ゼンノロブロイ

国際競走指定後:
第132回(2005年) 日本の旗 ヘヴンリーロマンス
第134回(2006年) 日本の旗 ダイワメジャー
第136回(2007年) 日本の旗 メイショウサムソン
第138回(2008年) 日本の旗 ウオッカ
第140回(2009年) 日本の旗 カンパニー
第142回(2010年) 日本の旗 ブエナビスタ
第144回(2011年) 日本の旗 トーセンジョーダン
第146回(2012年) 日本の旗 エイシンフラッシュ
第148回(2013年) 日本の旗 ジャスタウェイ
第150回(2014年) 日本の旗 スピルバーグ
第152回(2015年) 日本の旗 ラブリーデイ
第154回(2016年) 日本の旗 モーリス
第156回(2017年) 日本の旗 キタサンブラック
第158回(2018年) 日本の旗 レイデオロ
第160回(2019年) 日本の旗 アーモンドアイ
第162回(2020年) 日本の旗 アーモンドアイ
第164回(2021年) 日本の旗 エフフォーリア
第166回(2022年) 日本の旗 イクイノックス
第168回(2023年) 日本の旗 イクイノックス

   

国際競走指定前:
01回(1984年) ニホンピロウイナー
02回(1985年) ニホンピロウイナー
03回(1986年) タカラスチール
04回(1987年) ニッポーテイオー
05回(1988年) サッカーボーイ
06回(1989年) オグリキャップ
07回(1990年) パッシングショット
08回(1991年) ダイタクヘリオス
09回(1992年) ダイタクヘリオス
第10回(1993年) シンコウラブリイ
第11回(1994年) ノースフライト
第12回(1995年) トロットサンダー
第13回(1996年) ジェニュイン
第14回(1997年) タイキシャトル

国際競走指定後:
第15回(1998年) 日本の旗 タイキシャトル
第16回(1999年) 日本の旗 エアジハード
第17回(2000年) 日本の旗 アグネスデジタル
第18回(2001年) 日本の旗 ゼンノエルシド
第19回(2002年) 日本の旗 トウカイポイント
第20回(2003年) 日本の旗 デュランダル

国際G1昇格後:
第21回(2004年) 日本の旗 デュランダル
第22回(2005年) 日本の旗 ハットトリック
第23回(2006年) 日本の旗 ダイワメジャー
第24回(2007年) 日本の旗 ダイワメジャー
第25回(2008年) 日本の旗 ブルーメンブラット
第26回(2009年) 日本の旗 カンパニー

第27回(2010年) 日本の旗 エーシンフォワード
第28回(2011年) 日本の旗 エイシンアポロン
第29回(2012年) 日本の旗 サダムパテック
第30回(2013年) 日本の旗 トーセンラー
第31回(2014年) 日本の旗 ダノンシャーク
第32回(2015年) 日本の旗 モーリス
第33回(2016年) 日本の旗 ミッキーアイル
第34回(2017年) 日本の旗 ペルシアンナイト
第35回(2018年) 日本の旗 ステルヴィオ
第36回(2019年) 日本の旗 インディチャンプ
第37回(2020年) 日本の旗 グランアレグリア
第38回(2021年) 日本の旗 グランアレグリア
第39回(2022年) 日本の旗 セリフォス
第40回(2023年) 日本の旗 ナミュール

日本の旗 安田記念勝ち馬
   

国際競走指定前:
01回(1951年) イツセイ
02回(1952年) スウヰイスー
03回(1953年) スウヰイスー
04回(1954年) フソウ
05回(1955年) クリチカラ
06回(1956年) ヨシフサ
07回(1957年) ヘキラク
08回(1958年) ラプソデー
09回(1959年) ヒシマサル
第10回(1960年) オンワードベル
第11回(1961年) ホマレボシ
第12回(1962年) トウコン
第13回(1963年) ヤマノオー
第14回(1964年) シモフサホマレ
第15回(1965年) パナソニック
第16回(1966年) ヒシマサヒデ
第17回(1967年) ブツシヤン
第18回(1968年) シエスキイ
第19回(1969年) ハードウエイ
第20回(1970年) メジロアサマ
第21回(1971年) ハーバーゲイム
第22回(1972年) ラファール
第23回(1973年) ハクホオショウ
第24回(1974年) キョウエイグリーン
第25回(1975年) サクライワイ

第26回(1976年) ニシキエース
第27回(1977年) スカッシュソロン
第28回(1978年) ニッポーキング
第29回(1979年) ロイヤルシンザン
第30回(1980年) ブルーアレツ
第31回(1981年) タケデン
第32回(1982年) スイートネイティブ
第33回(1983年) キヨヒダカ
第34回(1984年) ハッピープログレス
第35回(1985年) ニホンピロウイナー
第36回(1986年) ギャロップダイナ
第37回(1987年) フレッシュボイス
第38回(1988年) ニッポーテイオー
第39回(1989年) バンブーメモリー
第40回(1990年) オグリキャップ
第41回(1991年) ダイイチルビー
第42回(1992年) ヤマニンゼファー

国際競走指定後:
第43回(1993年) 日本の旗 ヤマニンゼファー
第44回(1994年) 日本の旗 ノースフライト
第45回(1995年) アラブ首長国連邦の旗 ハートレイク
第46回(1996年) 日本の旗 トロットサンダー
第47回(1997年) 日本の旗 タイキブリザード
第48回(1998年) 日本の旗 タイキシャトル
第49回(1999年) 日本の旗 エアジハード

第50回(2000年) 香港の旗 フェアリーキングプローン
第51回(2001年) 日本の旗 ブラックホーク
第52回(2002年) 日本の旗 アドマイヤコジーン
第53回(2003年) 日本の旗 アグネスデジタル

国際G1昇格後:
第54回(2004年) 日本の旗 ツルマルボーイ
第55回(2005年) 日本の旗 アサクサデンエン
第56回(2006年) 香港の旗 ブリッシュラック
第57回(2007年) 日本の旗 ダイワメジャー
第58回(2008年) 日本の旗 ウオッカ
第59回(2009年) 日本の旗 ウオッカ
第60回(2010年) 日本の旗 ショウワモダン
第61回(2011年) 日本の旗 リアルインパクト
第62回(2012年) 日本の旗 ストロングリターン
第63回(2013年) 日本の旗 ロードカナロア
第64回(2014年) 日本の旗 ジャスタウェイ
第65回(2015年) 日本の旗 モーリス
第66回(2016年) 日本の旗 ロゴタイプ
第67回(2017年) 日本の旗 サトノアラジン
第68回(2018年) 日本の旗 モズアスコット
第69回(2019年) 日本の旗 インディチャンプ
第70回(2020年) 日本の旗 グランアレグリア
第71回(2021年) 日本の旗 ダノンキングリー
第72回(2022年) 日本の旗 ソングライン
第73回(2023年) 日本の旗 ソングライン